ここから本文です

ホンダデザインの大転換 ~1968年から'69年にかけて起きたこととは?~

5/22(水) 17:58配信

モーサイ

 世界的な2輪・4輪メーカーとして、もはや知らない人はいないであろうホンダですが、かつては“挑戦者“として、広大な北米大陸に活路を求めた時期がありました。
 そしてその挑戦のさなか、1968年から69年にかけ、ホンダ二輪車のデザインは事件と呼べるほどの“大転換”を行うことになります。なぜ、その時期にデザインの大転換が行われたのか? 今回はその謎について触れてみることにしましょう。

アメリカの危機的状況を回避した“デザイン”

 1960年代の初頭、当時世界で最大の2輪車市場だったアメリカに進出したホンダは、かの「ナイセスト・ピープル・キャンペーン」に象徴されるスーパーカブの成功により、極東の新参メーカーは彼の地の2輪市場で存在感を放ち始めていました。

 ところが……。'60年代も半ばになると、一時ブームを巻き起こしたスーパーカブの売り上げは落ち込みます。それに加え、'65年に投入した大型スポーツモデルCB450の販売も伸び悩んで、ホンダは一転ピンチに落ち入りました。
 スーパーカブは除くとしても、アメリカで売られていた当時のホンダ車のラインナップは、言うなれば日本的な発想でデザインされたモデルたちであり、アメリカ人の嗜好に合致していたとは言い難かったのです。
 それに気づくのが遅かったことが、'60年代半ばの危機を招いた一因と言えるでしょう。

 しかし、'68年に発表された4気筒エンジンの大型車CB750Fourと、2気筒のCB350。そして兄弟車のCL350で、アメリカ市場でのホンダは完全に息を吹き返すことになります。いずれも、キャンディーカラー(メタリックの下地に、カラークリアを上塗りした塗色)の派手な外装色が与えられ、燃料タンクをはじめとした各部も、それまでのホンダ車とは明らかに一線を画するデザインとなっていました。

 そして、単にアメリカ人好みのデザインだっただけでなく、前者は世界最高性能を常識的な価格で買うことができ、後者は安価で良く走る若者向けエントリーモデルとして、とにかく売れに売れていったのです。
 なにせ、当時は1ドルが360円時代。日本車は極めて手ごろな価格で売られており、それに高性能とデザイン性が伴ったわけですから、売れないわけがなかったのです。

1/2ページ

最終更新:5/22(水) 17:58
モーサイ

記事提供社からのご案内(外部サイト)

Motorcyclist

八重洲出版

2019年7月号
2019年6月1日発売

付録とも特別定価:950円

[付録]Honda Super Cub Touring Book
[巻頭]「走る」ことを愛するライダーの楽園「ワインディングニッポン」

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事