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【ドイツ人記者コラム】「誰もうまく付き合えていない」VARと“ハンド問題”の根本を考える

5/22(水) 12:33配信

footballista

「故意か否か」が現場の主張

 審判とIFABは致命的に道を誤り、自分たちの判断力や経験への信頼を放棄してしまった。その何よりの証左が、故意であるか否かの判断基準を示す具体例の列挙である。「手または腕がボールに向けて動いているか、あるいはボールが手または腕の向きに動いていないか」「ボールが手か腕に当たった選手と、その前に触れた選手との間の距離はどのくらいか」「ボールと接触した手または腕が、競技者の身体から張り出していたか(=故意を示す)」「ボールに手か腕で触った選手は、自分の身体の及ぶ範囲を広げたか」……。

 しかし、観客はもちろんエキスパートでさえ、これらの文言のせいで核心が“故意性の有無”であることを忘れてしまうであろう。「これらの文言で明確になることは何もない。私からすれば、かえって事を複雑にしているように思える」というのが、W杯やEUROなど800試合以上の試合を裁いた元審判であるマイヤーの見解である。

 VARの導入により映像を見て判断できるようになったことは、審判の判断に“統一感に欠け、基準となる原則がない”印象を強めることとなった。キンペンベやペリシッチのように、まったく故意的でない接触がハンドとされる。そして、この2つのケースにおけるもう一つの“ミス”、それがVARの介入である。審判がピッチの上で判断した結果であれば、まだ受け入れられたのだが。

 新しい規則が判定を明確にする場合もあるだろう。だが、現場の多くの人間は、IFABから別の指針が示されることを望んでいた。

 「故意であるかそうでないかで決定をすべきだ」

 こう明言するホッフェンハイムのナーゲルスマン監督をはじめ、多くの監督や選手がこう考えている。100年以上前から存在するこのルールのルーツに戻る方が、意義があったのではないか。しかし残念ながら、多くの審判には、選手たちの動きの裏にある動機を感じ取る十分な洞察力がないのだ。

 思わしくないのは審判のハンドとの付き合い方である。にもかかわらずVARを疑問視すると、完全に間違った方向に向かってしまう。

 「VARは素晴らしい。ただ、誰もそれとうまく付き合えていない」というのが、『ケルナー・シュタットアンツァイガー』の出した結論である。

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最終更新:5/22(水) 12:33
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