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麻薬生産で激化される武装組織と暴力

5/22(水) 12:31配信

Wedge

 「コカ栽培が広がり、あらゆる土地に武装組織が存在しはじめました」

 コロンビア南西部の太平洋に面した農村に暮らすマリー・コルテスさんはこう語る。彼女は度重なる暴力の被害と、そこから逃れるため移動を繰り返した。

武装組織とコカ栽培地

 「私は2003年に兄弟2人をゲリラに殺され故郷を去りました。以来、暮らしを立て直すことができません」

 マリーさんは、コロンビアで最も多くコカ栽培地が集中するナリーニョ県トゥマコ市の農村地帯で食堂を営み、1人の娘と暮らしている。トゥマコは人口およそ21万人。その9割以上がアフリカ系の住民が占めるというコロンビアでも独特の文化を持つ場所だ。私が彼女の話を聞いたのは2018年6月、太平洋沿岸地域で続く紛争を取材する中でのことだった。トゥマコでは麻薬生産や密輸の利権を巡る武装組織の争いが続き、今も多くの住民が犠牲となっている。

 彼女はここから北西におよそ50キロメートル離れた太平洋岸に近いトゥマコ市のチャグイ川という川沿いにある集落出身だ。そこには満足な道路はなく、カヌーを主な交通手段とし、自給向けの作物栽培以外に、漁によってわずかな収入を得ていた。産業が乏しい沿岸地域では、現金収入源として1990年代後半からコカ栽培が徐々に広がった。

 初めてマリーさんに暴力が及んだのが前述の兄弟2人が殺害された2003年で、反政府ゲリラFARC(コロンビア革命軍)によるものだった。当時、同地ではFARCと右派準軍事組織(パラミリターレス、以降「パラ」)がコカ栽培地への影響力を巡り激しく衝突していた。「パラ」はFARCなど反政府ゲリラからの自衛を目的にコロンビア各地で資産家が組織した民兵などが発端となり、麻薬を資金源に全国的な組織へ拡大させていた。マリーさんの兄弟が殺害された理由はわかっていないが、周囲ではパラへの協力を疑われた市民がFARCに殺害されるケースが頻発していた。迫る危険から家を捨て彼女は親族とトゥマコ市街地へ逃げた。

 トゥマコでは、複数の反政府ゲリラが1980年代から活動しはじめていた。当初、同地に麻薬産業は広まっておらず、ゲリラは「武力革命」への支持基盤作りのため、住民への啓蒙活動を農村で進めた。コカ栽培が広がったのは1995年ごろ。沿岸地域ではゲリラが農民に支援と保護を約束しながら自らの資金源としてコカ栽培を促したという話がある。活動したゲリラはELN(民族解放軍)、EPL(人民解放軍)、FARCだが、EPLは主流派が1991年に武装解除し、ELNはFARCに同地域から排除され、2000年までに大きな勢力を持つFARCがトゥマコで主導権を握った。

 産業のない地域に暮らす住民の間で徐々に広がるコカ栽培は2000年を境に激増する。1999年まで1000ヘクタール未満だったトゥマコのコカ栽培面積が2002年には5585ヘクタール、2007年には7128ヘクタールに増加した。背景にあるのが、国内の治安回復を目指すコロンビア政府が米国の援助をうけ行った、大規模コカ栽培地への除草剤の空中散布だ。それにより農地を失った農民が、新たな栽培地としてトゥマコなど太平洋沿岸へ移動したのだった。コカ栽培が移動したことで、麻薬を資金源とするパラもこの時期にトゥマコに侵入する。

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最終更新:5/22(水) 12:31
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