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サンチェ&ガリクソン 追う巨人を支えたクローザー&スターター/プロ野球1980年代の名選手

5/24(金) 16:01配信

週刊ベースボールONLINE

1980年代。巨人戦テレビ中継が歴代最高を叩き出し、ライバルの阪神はフィーバーに沸き、一方のパ・リーグも西武を中心に新たな時代へと突入しつつあった。時代も昭和から平成へ。激動の時代でもあったが、底抜けに明るい時代でもあった。そんな華やかな10年間に活躍した名選手たちを振り返っていく。

王監督の必勝リレーを締めたサンチェ

 1980年代の前半、外国人選手といえば打者であり、各チームには破壊力を誇る長距離砲がズラリと並んでいた。台湾から来た投手や巧打者タイプもいたが、圧倒的な少数派。助っ人の強打者たちには本塁打が求められ、実際には中距離打者タイプでも、日本の狭い球場では申し分ない破壊力だった。

 そんな“外国人選手=長距離砲”という傾向が頂点を極めたのが85年だろう。その前年、84年にはパ・リーグで阪急のブーマーが三冠王に。そして85年は、阪神のバースが三冠王に輝き、優勝、日本一の立役者となった。ただ、その85年は、奇しくも外国人投手がプロ野球界で再び存在感を放ったシーズンでもある。それも伝統の2チーム、阪神でゲイル、巨人ではカムストックが、ともに先発の一角に。ただ、ゲイルは優勝に貢献したものの、カムストックは8勝にとどまる。そのオフ、新たに加入したのがサンチェだった。

 巨人の王貞治監督は、このサンチェをクローザーとして重用。左サイドスローの角三男、右サイドスローの鹿取義隆をセットアッパーに、サンチェへとつなぐ必勝リレーを構築した。この継投策は“王(ワン)パターン”とも揶揄されながらも存分に機能して、黄金時代の広島と激しい優勝争いを展開する。

 サンチェは37試合すべてが試合を締めくくるマウンドで、4勝1敗19セーブの活躍。最終的には巨人が75勝、広島が73勝で、勝ち星では巨人が広島を上回ったものの、ゲーム差なし、勝率わずか3厘の差で優勝を逃す。それでも、84年に就任して以来2年連続で3位に終わった王監督の巨人にとっては、新たなシーズンに向けての大きな希望となった。

 そして翌87年が王監督の初優勝。継投策は健在だったが、クローザーを担ったのは鹿取だった。サンチェは86年を上回る39試合に登板したものの、試合を締めくくったのは23試合。0勝3敗9セーブと数字も残すことができず、オフに退団していった。

 時を同じくして、江川卓が突然の現役引退。槙原寛己、桑田真澄ら若手も成長してきていたが、ラストイヤーでさえ13勝を挙げたエースの抜けた穴は、あまりにも大きく見えた。

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最終更新:5/24(金) 16:28
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