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幕府存続の礎となった3代目。徳川家光の冷血な経歴に隠された、おおらかな性格とは?歴史上の人物を四柱推命で鑑定! 第60回~徳川家光~

5/24(金) 18:00配信

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 歴史上の人物に迫るには様々なアプローチがあるが、ここでは四柱推命(しちゅうすいめい)という手法を用いて、歴史上の人物がどんな性格であり、なぜ成功したのか(失敗したのか)を読み解く。※四柱推命と用語の説明はページの最後をご覧ください。

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 今回は、280年続く江戸の基盤づくりをした名君、江戸幕府第3代将軍・徳川家光を鑑定する。家光というと、武家諸法度を完成させ、参勤交代の制度を作るなど、江戸を太平に導くための様々な制度づくりを進めた人物であるが、その一方で、キリシタンを激しく弾圧したり、弟・忠長を切腹させたり、44家ものお家を取りつぶしたりと、冷血で残虐なイメージもある。しかし、鑑定結果は、家光が優しく温厚、おっとりした性格であることを示した。一体家光に何があったのだろうか? 

 四柱推命では、生年月日からその人が持って生まれた本質を命式表で表すが、定められた命式の通りに生きると、人生うまく行くと言われる。一見順風満帆に見える家光も晩年はうつ病を患っていたと聞く。家光の場合、とても命式表の通りに生きていたとは思えない。何か生きづらさを感じていたのだろうか? 

徳川家光(1604-1651)
生年月日:1604年8月12日(慶長9年7月17日)

  まずは、命式表の中で、自然界での役割を表す重要な場所、日柱の干支を読み解いていく。

○日柱の干支:「丙寅」(ひのえとら)

 これは、「丙(ひのえ)」は自然界の物質に表すと太陽、「寅(とら)」は季節で春を意味することから、「丙寅」は春の太陽と解釈できる。家光は春の太陽のように優しく明るく人々を照らす存在だったのだろうか。太陽が出ているときは常に明るいように「丙」の人は自己中心的で自分が注目されたいという特性を持つ。将軍向きの性格だったのだろうか。

続いて、通変星、蔵干通変星から家光の性格を読み解いていく。通変星、蔵干通変星をわかりやすく円グラフに表すと下記のようになる。

 知性…様々な分野の知識が豊富で、何かを学ぶことに喜びを感じる。頭の回転が速く、物事を論理的に捉えることが上手

行動力…頭で考えるよりも行動で結果を出す。未知の分野に挑戦する意欲が強く、交渉力や営業力を磨けば成功できる

人脈…さりげない気配りができて誰とでも仲良くなれる。サービス精神が旺盛でコミュニケーション能力も高く人を動かせる。

自立心…他人に依存することなく、自分が信じた道を突き進む強い精神性。リーダーシップを発揮しフリーで活躍できる。

遊び心…楽しいことを企画する等、生活に遊びを取り入れることが自然とできる。芸術面の才能があり、表現力が豊富。

〇遊び心60%! (食神2つ)

遊び心は、生活に遊びを取り入れることが自然とでき、芸術面での才能がある星。「食神(しょくじん)」は、おおらかで遊び好き、子どもが好きで子宝に恵まれる。楽しいことをして生活したいという、子どものような星。

〇行動力20%(偏官)

行動力は、頭で考えるよりも行動で結果を出そうとする星。中でも「偏官(へんかん)」は、攻撃的行動的な星。野性的で思い立ったら即行動派。

 

 通変星の中で、最も重要なのは、月柱の蔵干通変星で「主星(しゅせい)」と言い、オフィシャルな部分を表す。その次に大事なのは、日柱の蔵干通変星で「自星(じせい)」と言い、プライベートな部分を表す。家光は、このいずれもが「食神(しょくじん)」であり、遊び心が60%であるようにこの性質が非常に強まっていたということはもちろんのこと、オフィシャルとプライベートに違いがない、つまり裏表のない人物であったことが予想される。

 ここに私は大きな違和感を覚えた。目黒村に鷹狩に出かけたり、その折にさんまを食したりと遊び好きだったことはうなずけるが、本来、家光が持って生まれた性格は、おおらかで温厚、子どもっぽい性格であるはず。しかし、家光はずっと自分に仕えた人物しか信用せず、自分に逆らうもの、悪と考える者をことごとく排除した。島原の乱では、キリシタンを女子ども関係なくことどとく弾圧、拷問して死者は4万人を越え、「火あぶり将軍」と呼ばれた。

 また、謀反を企てていた(とされる)弟・忠長を切腹させたという、血縁を殺した最初で最後の将軍でもある。また、大老・土井利勝の名前を使って謀反人をあぶりだす等、様々な企てをして、江戸時代の将軍の中では最大の44家を取りつぶした。また、「食神」は子宝に恵まれる星であるが、正室・鷹司孝子との間には子はおらず、やっと世継ぎ・家綱が誕生したのは38歳の時だった。その点から考えても、家光はこの「食神」を上手に活かせていなかった、あるいは封印して過ごしたといえるだろう。それよりむしろ、行動力の星である「偏官」の性格が前面に出ているように感じる。

 なぜ、本来の性格を出せなかったのか? それは子ども時代の経験があろう。竹千代(家光)は二代将軍の父・秀忠と母・江の長男であるが、両親は愛嬌がよくしっかり者の次男・国松(忠長)を溺愛した。周りの家臣を含め、「家督は国松か?」という機運が高まっていた。

 両親から愛されず、将軍になれないかもしれないという不安から、12歳の竹千代(家光)は短刀を喉につきつけ自害をしようとしたという。乳母・春日局が家康に取りなしたことから無事に家督を継げることとなったが、辛い幼少期の体験は、「悠長にしてはいられない」「常に気を張っていなければ」という焦りを生むことに繋がり、「食神」を封印、攻撃的な星である「偏官」を前面に出すようにコントロールしたのだろうか。

 また、両親に愛されない経験をした子どもは、大人になってからも人が信用できず、「善」と「悪」をはっきりと分け、「悪」とみなした者を徹底的にやっつけようとする傾向がある。キリシタンや自分に従わない大名を徹底的に排除しようとする性格はそれゆえだろうか。

 

〇知性20%! (印綬、偏印)

 知性は何かを学ぶことが好きで、物事を論理的に捉えるのが得意。中でも「印綬(いんじゅ)」は幅広い知識を持ち、博学。人に何かを教えるのも得意。「偏印(へんいん)」は、知的好奇心が旺盛で、アイディアや発想力がある。変わり者、個性的で放浪好な面を持つ。海外が好き。

 家光が頭がよかったというのは誰もがうなずけるところだろう。父・秀忠が亡くなると、その手腕を発揮した。まずは幕府に老中・若年寄・奉行・大目付を設置し、幕府の政治機構を作り上げた。家光は、秀忠が発布した武家諸法度を改訂し、参勤交代の生徒を整えた。キリスト教への弾圧を強めてポルトガルと決別。貿易をオランダと中国に限るという鎖国体制を作り上げた。また、現在の内閣にあたる六人衆という制度を作り、合議によって政策を決定した。頭のよかった家光だからこそなせる業だろう。

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最終更新:5/31(金) 12:15
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