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【連載 名力士たちの『開眼』】関脇・金剛正裕 二所ノ関復活に目覚めた“勝負師”――[その1]

5/25(土) 10:37配信

ベースボール・マガジン社WEB

天龍との激しい稽古の日々

 ところは、すぐこの反動はやってきた。この3連勝して10連勝したあと、まるで手のひらを返したようにさっぱり勝てなくなってしまったのだ。あっという間に4連敗し、結局、この場所を終わってみると3勝4敗の負け越しだった。

「やっぱり、そううまくいくワケがないな」

 と、金剛は、この初めて体験するプロの壁の険しさにちょっぴり首をすくめた。

 ところが、この金剛の目まぐるしい連勝、連敗劇を見て、

「コイツはひょっとすると大化けするかもしれないぞ」

 と目を輝かせていた人物がいた。32回優勝の大鵬を発掘し、育てた名伯楽の師匠・二所ノ関親方(元大関佐賀ノ花)だ。間もなくこの師匠直々の特別教育が始まった。その目の前で、それこそ一日も休まず、もう一人のエリート候補の嶋田と、へとへとになるまで申し合いをやらされるのだ。

 どんなに体の不調を訴えようが、うまくごまかして稽古場を抜け出そうがダメ。この日も、とうとう最後には、

「そこにいるのは分かっているんだ。ほら、こっちに出てこい」

 と兄弟子に見つかり、稽古場に引きずり込まれてしまった。

「あのころの稽古が一番つらかったなあ。やっと嶋田との稽古が終わると、今度はオレ専用のぶつかり稽古の相手が控えていてね。また、動けなくなるまでやらされるんだもの。でも、その猛稽古のおかげで強くなったのも確か。入門するとき、5年で十両、と計算していたんだけど、本当に5年で昇進しちゃったもんね。あのときは、どうしてオレばかりこんなにいじめるんだ、と師匠を恨んだものだけど、今ではものすごく感謝していますよ」

 と51年秋場所直前、27歳の若さで突然、引退し、名門・二所ノ関部屋を継承した金剛改め二所ノ関親方は、このひょんなことからさまよい込んだ地獄の日々を振り返る。

 金剛は、砂まみれ、汗まみれの中で、この世は決して計算したようにはいかないことを思い知ったのだ。(続)

PROFILE
金剛◎本名・吉沢→北村正裕。昭和23年11月18日、北海道深川市出身。二所ノ関部屋。184cm115kg。昭和39年夏場所、大吉沢で初土俵。44年夏場所新十両、金剛に改名。45年秋場所新入幕。50年名古屋場所、平幕優勝を飾り、翌秋場所、関脇に昇進。幕内通算35場所、259勝281敗、優勝1回、殊勲賞3回。51年秋場所前に引退し、年寄二所ノ関を襲名、部屋を継承する。平成25(2013)年初場所限りで部屋を閉鎖、松ケ根部屋に移籍。同年6月20日、相撲協会を退職。翌26年8月12日没。

『VANVAN相撲界』平成5年8月号掲載

相撲編集部

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最終更新:5/25(土) 10:37
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