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堀内恒夫G助っ人回顧 クロマティが成功した理由は?

5/26(日) 11:05配信

週刊ベースボールONLINE

川上哲治監督のV9時代の巨人は外国人選手不在だったが、長嶋茂雄監督が就任した1975年にジョンソンが入団。当時のエースとして、その後は兼任コーチ、専任コーチ、コーチ、監督として長年にわたり巨人のユニフォームを着た堀内恒夫氏に、「海を渡ってきたチームメートたち」について思い出を振り返ってもらった。

「遊んでいるときも真面目なときもあった」

 1984年、堀内が投手コーチ専任となってから、巨人のユニフォームを着た外国人選手として、ウォーレン・クロマティがいる。83年オフにエクスポズからFAとなり、サンフランシスコ・ジャイアンツとの入団会見の日取りまで決まっていたが、数日前に巨人が、ジャイアンツの条件を上回る高額条件を提示、獲得を決めた。地元メディアには「同じジャイアンツと書かれた契約書に間違えてサインしたのでは」と真顔で報道する放送関係者もいたという。

 クロマティは巨人の助っ人野手としては、最も長い7年間プレー。堀内がユニフォームを脱いだ4年後の89年にはリーグ最多の166安打を放ち、打率.378で首位打者を獲得。藤田巨人のリーグ優勝と日本一に貢献した。MVPに輝き、「巨人史上最強の助っ人」とまで崇め奉られた。

「クロマティはエクスポズでバリバリだったからね。それが日本の野球に合わせようと努力したんだ。彼は遊んでいるときもあれば、真剣に取り組んでいるときもあった。クロマティが辞めるときに巨人はもう1年契約したかった。でも、ヤツは“ミュージシャンになりたい”といって辞めていった。日本にいればもっと稼げたんだろうけど」

「パワーがあってもバットにボールが当たらない」

 前評判と来日時のインパクトの大きさなら、この人たちも負けてはいない。ロイド・モスビーと、ジェシー・バーフィールドである。

 92年に来日したモスビーは、タイガースで、元阪神のセシル・フィルダーとクリーンアップを組んでいた。メジャー通算169本塁打をマークする長距離砲だった。パワーなら、近鉄のブライアントに匹敵するという前評判だった。翌93年に巨人入りしたバーフィールドは、ブルージェイズ時代に本塁打王に輝き、メジャー通算200本塁打を放つ大砲だった。

 モスビーは初年度、96試合に出場、打率.306、25本塁打、71打点をマークするが、期待された好成績は残せなかった。翌93年は故障が相次ぎ37試合の出場に終わり、その年限りで退団。バーフィールドは、来日1年目に26本塁打を放つも、安打数を大きく上回るリーグ最多の127三振を記録。その年限りで退団した。

「パワーはあっても、バットにボールが当たらない。日本のピッチャーはコントロールが良いからね。いま、巨人にいる(アレックス)ゲレーロだって、インコースに投げておいて、下に落とせば空振りだもの。モスビー、バーフィールドは変化球が打てなかった。でも、バーフィールドは肩が強かった。いまはそれなりの選手が来る時代になったけど、昔は欠点を持った選手か、終わった選手ばかりだった。終わってから、ちょっと出稼ぎしようかな、くらいの感覚だからね。

写真=BBM

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最終更新:5/27(月) 11:07
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