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日本の川はサケ・マスに厳しい? 日本の地勢とダムの話 その1

5/27(月) 15:41配信

ルアマガ+

日本の川は、川というよりは滝

4月の声を聞き、日本全国の河川はほぼ解禁となった。

3月中旬に温暖な日々が続いたものの下旬には寒の戻りがあって、今まさに咲こうとする矢先の桜のつぼみも閉じてしまうほどの花冷えとなったのだが、執筆している今日は非常におだやかで温暖な一日となった。

隣にある工場の山桜の巨木も、近隣の産業道路の路側帯にある桜の並木もほぼ満開である。

解禁を迎え、多くのトラウトマンが新たなシーズンの物語創造のために、大挙して釣行を重ねているはずだ。まずはそんな彼らに今シーズンも幸あらんことを切に祈りたい。

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■文章:福田紀之(ふくだ・のりゆき)

アングラーズシステム代表。フロントワイド形状のバックスを始め、数々の名作を夜に送り出してきたスプーンビルダー。

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さて前述の通り全国的に解禁になった訳だが、そんな中改めて釣行記などをしたためたところで意味はない。幕が開いたトラウトフィールドを知るには諸兄の奮闘と今後の釣行以外にないからだ。

先日、たまたま調べものをしていた時に「明治のお雇い外国人」なるもののリストを目にする機会があった。

明治維新以降、当時の列強に追いつくため日本の政治指導部は手っ取り早く文明国を形成するために色々なカテゴリーで一流とされる列強から専門家を招き富国強兵を図った。

我々が愛するトラウトの生息圏すなわち河川の専門家となると「河川工学」であるが、この世界の専門家として招聘されたのがオランダ人「ヨハニス・デ・レーケ」であった。

諸兄もご存知であろう木曽三川。濃尾平野を形成した木曽川・揖斐川・長良川の3河川であるが、過去より大きな水害が頻発し、これらの河川を制御することが歴代統治者の力量とさえ言われたほどだが、その圧倒的な水量は人間などを寄せ付けるものではなく、なすがままにされていた。

明治という近代国家が誕生し、国家を安定的に建設してゆくには、氾濫を繰り返す河川の制御は喫緊の課題であった。

そんな状況の中で来日したデ・レーケはとにかく3河川を完全分離することを提案し計画書を作成。即刻許可され着工。

完成後は三川による水害は激減、日本の河川工学史上画期的な工事となり、現在も語り継がれている。

それまでの日本の河川工学と言えば、その場その場において人海戦術で巨大な岩などを川岸に設置後、モッコや鍬などの非力な道具で隙間に砂利等を埋め込むといったような稚拙な方法しかなく、河川をトータルに考える専門家は皆無であった。

台風等で洪水が起きても、自然の成り行きであるためただひたすら耐えるか、もしくは神に祈るというような民間信仰しか存在しかなかったのが明治維新前の日本の偽らざる姿であった。

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最終更新:5/27(月) 15:41
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