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なでしこジャパンは2011年の日本そのものだった。空前のブーム、2人の10番が見たその後【日本代表平成の激闘史(12)】

5/27(月) 10:10配信

フットボールチャンネル

時代は平成から令和へ。時代は変われども、後世へと語り継ぎたい平成に起きた名勝負を、各ライターに振り返ってもらう本企画。今回は平成23年(2011年)、女子ワールドカップ優勝を果たしたなでしこジャパンについて。世界の頂点に立ち、日本国内は『なでしこフィーバー』に沸いた。(文:青木務)

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●誰もが驚き、歓喜したW杯制覇

 誰もが驚き、歓喜したあの時から8年が経過しようとしている。2011年7月。日本女子代表、通称なでしこジャパンがドイツで開催されたFIFA女子ワールドカップ優勝を果たした。サッカー日本代表が世界の頂点に立つ――その光景がどれだけ美しいものなのか、この時初めて知った。

 東日本大震災に見舞われた2011年、世の中では『絆』という言葉が頻繁に使われた。「人と人の結びつき」を象徴するような戦いを見せたのが、なでしこジャパンだった。体格差が歴然の海外勢を相手に、集団、組織力で対抗。手を取り合い、全員で強豪に立ち向かう姿は多くの人々の心を打った。

 澤穂希は傑出した勝負強さを見せ、宮間あやはフィールド上の誰よりも冷静に試合を操った。アメリカとの決勝でレッドカード覚悟のプレーを見せた岩清水梓、スケールの大きさと安定感を示した阪口夢穂、今やタレントとして引っ張りだこの丸山桂里奈…誰が欠けても世界一には届かなかっただろう。

 そのひたむきなプレーは悲しみに打ちひしがれた日本を勇気づけた。彼女たちはあくまで目の前の試合に全力で戦ったはずだが、人々の想いも背負ってくれていたかもしれない。大会後には国民栄誉賞が送られ、新語・流行語大賞の年間大賞も受賞。なでしこジャパンは2011年の日本そのものだった。

●優勝、銀メダル、準優勝

 完成されたチームは翌年のロンドン五輪で銀メダルを獲得し、2015年のワールドカップでも準優勝を果たす。文字通り世界屈指の強豪として対戦相手から恐れられ、尊敬された。

「びっくりですよね」

 いずれの大会もボランチとして攻守に貢献した阪口は、さっぱりとした様子で振り返っている。世界一を争うという、誰にでもできるわけではない経験を彼女なりに吸収した末の姿だったように感じる。

「実力だけでなく運とかもあったと思います。それも含めて実力なんでしょうけどね。ただ、凄いことだけど(ロンドン五輪や15年のワールドカップ)は準優勝かよ、という感じで。決勝に行ったら優勝したい気持ちはあったから。試合が終わった時に負けているわけですから、決勝に行った喜びよりも悔しさの方が大きかった。でも3大会連続で決勝進出しているのは凄いなとも思うし…よくわからない気持ちです」

 なでしこジャパンは、主要国際大会で立て続けにファイナリストとなった。11年のワールドカップ制覇を機に、国内のなでしこリーグの観客が激増し、15年ワールドカップの後には宮間が「女子サッカーを文化に」と想いを述べたが、そこに到達したとは言い難い。

 阪口に話を聞いたのは3年ほど前だったが、当時こんなことも語っていた。

「なくてはならないもの、ではなさそうですよね。注目され続けることはとても難しいことなんだなと痛感します。観客の数とかで比例していますから。本当にブームの時は多くの人が来ましたし、興味が薄れてきたら減ってしまう。そういうのは一つの目安ですね」

●ブームがもたらしたもの

 その後、なでしこジャパンの象徴だった澤が現役を引退。さらに、リオデジャネイロ五輪の出場権を逃がした。ついて行くべき背中はもうピッチにはおらず、世界に挑むこともできない。なでしこジャパン、なでしこリーグの認知度はワールドカップ優勝を機に間違いなく上がったが、「なくてはならないもの」というところまではいかなかった。

 それでも、後に続く世代には様々なものが受け継がれた。世界一になったことで女子サッカー界全体の意識がアップデートされた。もちろん、危機感も――。

 2018年秋、なでしこリーグの絶対王者である日テレ・ベレーザである企画が行われた。試合に足を運んでもらうための集客プロジェクト。発案・主導したのは、昨年のアジア大会でなでしこジャパンの10番を背負うなど、存在感を高めていた籾木結花だった。

「2011年のワールドカップで優勝して一気に増えた観客がその後、年々減っていくというのを自分はベレーザで経験してきました。どんどん人がいなくなっていくな、というのはすごく感じていて。

 サッカーだけじゃ、興味を持ってもらえないというのは思ったので、そのあたりは女子サッカー選手がサッカーだけでは食べていけないのと同じように、サッカーが強いだけではダメだというのを感じたんですけど、何か一つだけではやっていけないなというのはすごく感じましたね」

 慶應義塾大学の4年生だった籾木は当時、淀みない口調で言葉を紡いだ。現状を憂い、アクションを起こさねばという想いが彼女を突き動かした。現役選手が先頭に立って企画を進める――2011年に起きた突然変異的なブームと、終息した“その後”とのコントラストは、籾木に限らず多くの人間に危機感を植え付けたと言える。

 2019年5月10日、ワールドカップに出場するなでしこジャパンのメンバーが発表された。世界一の景色を見た阪口夢穂は、怪我からの復帰となる。澤の後に10番を受け継いだ天才はコンディションが心配されるが、今大会もリーダーとして期待される選手の一人だ。籾木も名を連ねている。知性とアイディアを左足に込め、攻撃のアクセントとなるはずだ。

 鮮烈だったワールドカップ優勝から約8年。女子サッカー界の勢力図も変化し、なでしこの立場はチャレンジャーだ。フランスの地で、彼女たちはどのような戦いを見せるだろうか。そして大会後、日本女子サッカーはどのような道を歩んでいくだろうか。あの美しい光景をまた見せてほしいと思うと同時に、女子サッカーが定着していくことを願う。

(文:青木務)

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最終更新:5/27(月) 10:10
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