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堀内恒夫G助っ人回顧 監督時代に手を焼いたローズ&ミセリ

5/28(火) 11:05配信

週刊ベースボールONLINE

川上哲治監督のV9時代の巨人は外国人選手不在だったが、長嶋茂雄監督が就任した1975年にジョンソンが入団。当時のエースとして、その後は兼任コーチ、専任コーチ、コーチ、監督として長年にわたり巨人のユニフォームを着た堀内恒夫氏に、「海を渡ってきたチームメートたち」について思い出を振り返ってもらった。

「ローズには手抜きは許さんと言った」

 2004年、堀内が監督に就任したとき、最も頭を悩ませたのが、近鉄時代の01年に55本塁打を放ち、この年からチームの一員となったタフィ・ローズである。ローズ、高橋由伸、小久保裕紀らが中心となり、チーム259本塁打の球団新記録を樹立。自身も45ホーマーを放ち、前年に続いて、本塁打王に輝くが、コーチ、フロントと対立するなど、何かと問題を起こした。

「ローズはバッティングではすごかったけど、守備で手を焼いた。(外野守備走塁コーチの)弘田(澄男)と、意見が対立して、ケンカになった。それでも、解雇できない契約になっていたのでね。

 彼には被害妄想の気があって、俺ばかりが差別されるという先入観があった。そんなにゴネるのなら、俺のところへ連れて来い、といったら、福岡ドーム(現ヤフオクドーム)のハンバーガー店へ逃げ込んでしまった。通訳が迎えに行っても出て来ない。でも、次の日に来た。打って結果を残しても、手抜きは許さんぞと言ってやりましたよ」

「二軍へ行けと命じたけど断固拒否」

 監督時代に手を焼いた外国人として、もう1人、抑えに指名したダン・ミセリがいる。05年に入団したミセリは、メジャー数球団を渡り歩いた豪球右腕という触れ込みだった。ところが、来日直後、その前評判が覆される。それが原因で、その年の巨人はBクラスの5位に低迷した。その責任をとる形で、堀内はユニフォームを脱いだ。

「キャンプに来て、140キロ前後のボールしか投げない。そのうち調子が上がるかと見ていても、全然上がらない。せいぜい144~145キロ止まり。その年、ミセリは1イニング限定の抑えに予定していた。4月1日の開幕戦(対広島)で、1点リードの9回に出ていって、ラロッカにバックスクリーンへホームランを打たれた。ミセリの3失点でゲームを落とした。

 さらに4月5日の横浜戦で延長12回裏に登板したミセリは、打たれて敗戦投手になった。あの年はスタートでつまずいて、おかしくなった。二軍へ行けと命じたけど、ヤツは断固拒否。ミセリはわずか4試合に登板、4月の半ばに解雇された。その直後に女房と子どもと浅草の仲見世へ出かけて、人力車に乗って遊んでいた。

 これからは日本でうまくなりたい外国人選手を育てる時代になってきたと思う。一昨年まで巨人にいた(マイルズ)マイコラスだって、日本でうまくなってほしい、という意味合いで来日した。昔はダメならすぐにクビを切る。いまは外国人でも時間をかけて手取り足取り育てる。広島みたいにドミニカ共和国にアカデミーを作って連れて来るチームもあるくらいだからね。時代は変わったということだよ」

 昨年、カージナルスで最多勝に輝いたマイコラスの急成長は、メジャーで、「大谷翔平(エンゼルス)に勝るとも劣らない戦力補強」として称賛された。日本からの逆輸入によってメジャーの投手力が底上げされる。そんな時代を迎えた。今年も海を超えて日本へやって来た外国人選手たちに熱い視線を送りたい。

写真=BBM

週刊ベースボール

最終更新:5/28(火) 12:42
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