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設計現場で地盤の揺れを想定した「新設計法」が使われない現実

6/2(日) 7:00配信

幻冬舎ゴールドオンライン

今回は、耐震基準の歴史を振り返ります。※本連載は、建築耐震工学、地震工学、地域防災を専門とする名古屋大学教授・福和伸夫氏の著書『必ずくる震災で日本を終わらせないために。』(時事通信出版局)から一部を抜粋し、大震災の危険性はどれほど高まっているのか、さらに対策はどれほど進んでいるのかを紹介しながら、防災・減災に向けた早急な対応の必要性を説いていきます。

耐震設計の普及の決め手は「構造計算の単純化」

■耐震工学の父・佐野利器の宣言

構造計算の時に使用する標準せん断力係数の「0.2」はもともと、佐野利器(としかた)という建築構造学者が提唱した「水平震度」から出発しています。1880年に山形県で生まれた佐野は、東京大学で建築を学び、辰野金吾とともに東京駅の構造設計などを担当しました。

*佐野利器は複雑な地震力について「水平震度」の概念を導入しました。日本最初の鉄骨構造建築である日本橋丸善を設計しています。ただ、この震度は水平加速度を重力加速度で除したもので、気象庁が発表する震度階とは異なるものです。

東京駅竣工前の1906年、米西部で起きたサンフランシスコ地震を調査。壊滅的な街の被害を目の当たりにしながら、鉄筋コンクリート造の耐震、耐火性も確認し、日本でも普及させるべきだと決意しました。1915年には、「家屋耐震構造論」で工学博士を取得。この中で震度法という概念を提唱しました。

それから1923年、関東大震災を経て、佐野が公に宣言したのが次の一文です。

「諸君、建築技術は地震現象の説明学ではない。現象理法が明でも不明でも、(地震現象の理学的解明ができてもできなくても)之に対抗するのが実技である、建築界は百年、河の清きを待つの余裕を有しない」(耐震構造上の諸説、『建築雑誌』1926年)

つまり、地震そのものの現象が明らかになるまで建物をつくれないなどというのはダメ。建築界にそんな余裕はないと述べています。耐震設計を普及させるには、みんなが扱える単純な方法がいい。そこで佐野が考え出したのが、建物の揺れ(水平加速度)を重力加速度で割った水平震度を建物の重さにかけた力に対して建物の安全性を確認するという単純な計算です。例えば、建物の揺れが200ガルとして重さに「0.2」をかけるだけです。建物が揺れたら加速度が生じる。加速度に重さをかけたら建物に作用する力になる。力は時々刻々変わるが、最大値だけを見れば安全確認はできる―などの考えで導き出した「震度法」と呼ばれる概念です。

*物事の本質が分かり、単純化するのは一番難しいことです。それをやった佐野利器は大人物。目的は安全な建物をつくることで、そのためには多くの人が使いやすい単純なものの考え方をつくった。えてして難しいことを言う学者が多い中で、研究のコミュニティーではなく社会の方を見ていた人です。

本当の地震の揺れはメチャクチャ複雑なのに、最も大事なことを単純化した。単純化することには功罪の両面がありますが、これはすごく画期的なことでした。ただし、佐野は、煙突のように細長いものには使わないようにとの注意も書いています。さすがです。超高層ビルもイメージしていたのかもしれません。

佐野は工学者の立場でありながら、理学者ともよく付き合いました。その上で、理学的なことが全部解決するのを待っていたらダメだと言った。工学者としてものすごく器の広い人、全体を見渡せる人でした。だから、関東大震災のときは後藤新平に見込まれ、帝都復興院の理事・建築局長という、耐震工学者とは思えないような大きな仕事を任されました。その後は東京市の建築局長など、官僚としても辣腕(らつわん)を発揮、清水組(後の清水建設)の副社長も務め建設業の近代化もリードしました。まさに、産官学でそれぞれ大きな足跡を残したのです。

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最終更新:6/2(日) 7:00
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