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「一人で死ねばいい」論争の不毛さと不条理な社会

6/4(火) 16:05配信

日経ビジネス

 「個人と社会」について考えてみる。

 川崎市多摩区の路上で登校中の児童や保護者らが刃物を持った男に襲われ、2人の大切な命が不条理に奪われた事件で、犯人に対するコメントが物議をかもしている。

 「死ぬなら一人で死ねばいい」「死ぬのに人を巻き込むな」といった言葉が、テレビのコメンテーターから、あるいはSNS上で、飛び交ったことに対し、「次の凶行を生まないために、こういった言説をネット上で流布しないでほしい。こういった事件の背後には『社会に対する恨み』を募らせている人がいる場合が多いので、辛いことがあれば、社会は手を差し伸べるし何かしらできることはあるというメッセージが必要」と、貧困などの問題に関わるNPO法人の代表の男性が投稿したのだ。

 男性の呼びかけに賛同する人がいた一方で、ネット上では「遺族の気持ちを考えろ!」と激しい批判と反発があふれる事態となった。詳しくはテレビのワイドショーでも取り上げられたり、多くの識者たちがコメントを発信したりしているのでご存じの方も多いと思う。

 個人的には私は全く関係ない子供や大人たちを残酷な目に遭わせた犯人に激しく憤っており、今、この時点で「次の凶行を生まないためのメッセージ」を出す気持ちにはなれない。これは他のメディアでもコメントしている通りである。

 亡くなった方、傷つけられた方、その家族の方たちの心情をおもんぱかると、とてもじゃないけど、「次の……」とは思えない。この議論がセンセーショナルに取り上げられることで、苦しむ被害者の関係者もいるのではないか。そう思えてならないのである。

 ただ、以前、私が刑務所を訪問したときに抱いた「気持ち」や、刑務官の人たちから聞いた言葉。さらには「人は環境で変わる」という自分が大切にしている信条から、「無差別殺人」を理解不可能なものとして捉えるのではなく、犯罪に駆り立てる社会背景を紐解き、社会空間に不可避な不条理を理解しようとすることは極めて重要だと考えている。

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最終更新:6/4(火) 16:05
日経ビジネス

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