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働き盛りで精巣腫瘍に 「あれ食べたい」を励みに治療

6/7(金) 10:12配信

NIKKEI STYLE

ある日、がんになったら、今まで続けてきた仕事はどうすべきか――。今、がん患者の3人に1人が働く世代(15~64歳)といわれている。しかし、告知された患者が慌てて離職したり、雇用する企業が患者の対応に困惑し、うまく就労支援できなかったりすることが少なくない。自身もがんになったライター・福島恵美が、がんと診断されても希望を持って働き続けるためのヒントを、患者らに聞いていく。

今回登場するのは、20~40代の男性が多くかかる精巣腫瘍の患者会「精巣腫瘍患者友の会J-TAG(ジェイ・タッグ)」の代表を務める、会社員の改發(かいはつ)厚さん。難治性精巣腫瘍になってからの闘病生活や仕事について聞いた。

■難治性精巣腫瘍で1年半の入院生活

――精巣腫瘍はあまり聞きなれない名前のがんですが、改發さんはどのような経緯でがんと診断されたのですか。

2人の子どもがいて家族4人で暮らしていた2004年、お風呂に入っていて左側の睾丸(精巣)の腫れに気付きました。32歳のときです。ただ、痛くなかったから、放ったらかしにしていたんです。2カ月ほどたっても腫れは引かず、卵大からミカン大くらいにまで大きくなって、これはまずいと思って近くの病院へ。CT検査でほぼがんと分かったのですが、腫瘍を取る手術をしてから確認することになり、術後、精巣腫瘍と診断されました。

腹部などのリンパ節にも転移があったので、精巣腫瘍の導入化学療法(すべての治療の最初に行う抗がん剤治療)における標準治療[注1]として、BEP(ブレオマイシン・エトポシド・シスプラチン)療法という3種類の抗がん剤を組み合わせる治療を4クール(当時は1クール28日)しました。精巣腫瘍は転移があっても、BEP療法で約8割が治るといわれています[注2]。この抗がん剤治療でリンパ節の腫瘍が小さくなり、それを手術で取り除きました。ところが肺にがんが多発転移していることが分かり、「うちでは手に負えないから、大学病院で治療してください」と転院を勧められたのです。標準治療で効果がなかったので、難治性精巣腫瘍[注3]となりました。

大学病院ではさらに抗がん剤治療を2クールした後、通常の抗がん剤の5倍の量を投与する救済化学療法を受けました。高かった腫瘍マーカー[注4]が陰性化し、後は、肺に残った腫瘍を取り除いたら治療は終わるはずだったのですが……。しばらくしてから、再び腫瘍マーカーの数値が上がってしまいました。マーカーの値が正常にならないと、手術はできないのです。

主治医からは「治る見込みはあまりないです」と。けれど、治療をやめてしまえば死んでしまう。治らないのに治療するむなしさを抱えながら、試験的に他の抗がん剤を試しました。すると効く薬が出てきて、マーカーの値が正常になり肺の手術ができたんです。2005年9月に寛解[注5]し、ほぼ入院していた1年半の治療生活が終わりました。

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最終更新:6/7(金) 12:15
NIKKEI STYLE

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