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【連載 名力士たちの『開眼』】関脇・金剛正裕 二所ノ関復活に目覚めた“勝負師”――[その3]

6/7(金) 17:24配信

ベースボール・マガジン社WEB

人生を一変させた初優勝

 後半、この金剛ならではの叱咤法が次々にドラマチックなホームランを量産。10日目、みんなの予想を裏切って(?)単独トップに立つと、とうとうそのまま後続を振り切ってゴールに駆け込み、衰退の目立つ二所ノ関部屋に、本当にもう一度、光り輝く太陽を呼び戻したのだ。

 千秋楽、鷲羽山を大相撲の末、右からの上手投げで破り、この軌跡を現実のものにしたときの金剛のセリフがまた、なんとも奮っていた。

「ホラ、みたか。っでも、言っとくけど、このホラは、ホラ吹きのホラじゃないよ。真実とは戦いに勝つことである。以上」

 この最後の、真実とは、の下りは、『天と地と』という海音寺潮五郎の小説からの寸借だったが、この短い言葉の中で、金剛は、ご覧のとおり、好き勝手なことを言っていても、ちゃんと優勝したじゃないか、オレは、そんじょそこらのホラ吹きとは違うんだぜ、ということを声を大にして言いたかったのだ。

「それまで他人の優勝は何度も見てきたけど、自分がする、というのは、全然違うんだよね。とにかく、その日を境に、ものの感じ方や、考え方まで180度、変わっちゃうんだから」

 と二所ノ関親方はしみじみ話していたが、確かのこの二所ノ関親方の場合はその後の人生まで一変させてしまった。この直後に発生したお家騒動に巻き込まれ、1年後、まだこれからという27歳の若さで引退し、二所ノ関部屋を継承するという、優勝する前は思いもしなかった運命を歩くことになった。

「いろんなことを言う人がいるけど、オレとしたら、あのときはああする以外になかったんだ。いま一番つらいのは、昔の二所ノ関部屋を知っている人たちから、お前んところは二所ノ関一門の本家じゃないか。もっとしっかりしろ、と言われることだなあ。でも、そのうちに必ず盛り返して見せるから、もうちょっと長い目で見ててよ。金剛のような破天荒な力士を育ててね」

 と二所ノ関親方は熱っぽい目をした。(終。次回からは関脇逆鉾昭廣編です)

PROFILE
金剛◎本名・北村正裕。昭和23年11月18日、北海道深川市出身。二所ノ関部屋。184cm115kg。昭和39年夏場所、大吉沢で初土俵。44年夏場所新十両、金剛に改名。45年秋場所新入幕。50年名古屋場所、平幕優勝を飾り、翌秋場所、関脇に昇進。幕内通算35場所、259勝281敗、優勝1回、殊勲賞3回。51年秋場所前に引退し、年寄二所ノ関を襲名、部屋を継承する。平成25(2013)年初場所限りで部屋を閉鎖、松ケ根部屋に移籍。同年6月20日、相撲協会を退職。翌26年8月12日没。

『VANVAN相撲界』平成5年8月号掲載

相撲編集部

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最終更新:6/7(金) 17:24
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