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【伝説のランボルギーニ 03】ミウラは世界を驚かせる奇想天外なスーパーカーだった

6/8(土) 18:30配信

Webモーターマガジン

ミウラP400の「P」はエンジン後方搭載を示していた

ランボルギーニの名声を決定的なものにしたのが「ミウラ」だった。FRレイアウトが常識だった時代、エンジンをミッドに、しかも横置きするなど考えもつかなかった。人々はその美しいデザインに魅せられ、そんな外観とは裏腹の獰猛さに度肝を抜かれた。ミウラはなにもかもが新しかった。

【写真】ミウラの内外装やエンジンなどをもっと見る

1965年から66年にかけて、ランボルギーニは次々と革新的なモデルを発表した。「350GTZ(ザガート)」、「350GTS(カロッツェリア・トゥーリング)」、「400GTモンツア(ジョルジョ・ネリとルチアーノ・ボナチーニが開発を担当)」はいずれもプロトタイプに終わっているが、当時の自動車業界に大きなインパクトを与えた。

こうした中、ジオット・ピッザリーニの後を継いだ若きエンジニア、ジャンパオロ・ダラーラとパオロ・スタンツァーニが開発を進めていたのは、本格的なレーシングカーを公道用としたもので、V12エンジンをコクピットの後ろに横置きし、ギアボックスをひとつのユニットに収めた斬新なものだった。逸話によれば、フェッルッチォは即座にこのプロジェクトにゴーサインを出したと言われている。

この斬新なプロジェクトを知ったヌッチオ・ベルトーネはデザインの依頼を快諾、若きデザイナー、マルチェロ・ガンディーニがその役割を担うことになった。

こうして誕生したのが、1966年のジュネーブ・オートサロンでデビューしたミウラだった。最初のミウラは「400GT」用のV型12気筒エンジンを基本に、5速マニュアルギアボックス、デファレンシャル、潤滑システムを一体のケースに収め、これをボディミッドに横置きするという斬新なもので、しかもガンディーニが手がけたスタイリングは「究極の美しさ」と形容される流麗さを身につけていた。

ミウラは当初ショーカーとして開発されていたが、たちまち世界的に爆発的な人気を獲得、P400として登場した後、P400S、P400SVへと進化、幻の名車「イオタ」を生み出すことになる。1966年の登場以来、一刻も早いデリバリーを望む顧客のために生産を急いだため、初期モデルの完成度は低かったと言われているが、P400、P400S、P400SVへと進化するごとに完成度を高めて高い名声を勝ち取っていった。

「イオタ」の伝説は今もミステリアスだ。その話はある顧客のオーダーに応えてミウラをベースにしたワンオフモデルを製作したところから始まる。このモデルは当時のレース車両規則「アペンディックスJ」(追加規則J頁)に合わせて開発されたレーシングカーで、特別にチューンされた4L V12エンジンやアルミフレームのボディを持っていた。このモデルは「J」とされたが、この「J」をスペイン語のJOTA(イオタ)にあてて、それを名称としたのが幻の正体だ。

しかし、後にその存在を知った顧客からの要望に応える形で、特別に6台がほぼ同じ仕様で追加生産されることになった。これがミウラ「SVJ」と呼ばれるモデルだ。ところが最初のレーシングカーは顧客に販売された後、事故で消失してしまう。このため今ではオリジナルを含めた7台が一般的には「イオタ」とされるが、イオタ風に製作されたモデルも多く存在すると言われる。

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最終更新:6/8(土) 18:30
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