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キューティー鈴木、デビューから引退後まで今すべてを語る

6/9(日) 16:01配信

SmartFLASH

「アイドルレスラー」という言葉が世に浸透するきっかけとなった、伝説の人気女子レスラー・キューティー鈴木。純粋にプロレスが好きで門を叩いたが、愛らしいルックスと、対戦相手に技をかけられている「苦悶の表情」が支持を得ていた。

【写真】キューティー鈴木

 いまも月に数回程度の芸能仕事はあるが、生活の大半を主婦として過ごすキューティーに、現役時代に抱いていた思いと、芸能活動の裏話を聞いた。

「最初は女子レスラーの大森ゆかりさんがすごい好きで、『プロレスラーになりたい』と思って入門したんですけど、入った瞬間から練習がツラすぎて(笑)、嬉しさやプロレスラーへの志が見えなくなりました。ただ単に、言われたことを淡々とやるだけの毎日でしたね。あこがれも一瞬にして消えました。

 それまでは、『こういう選手になりたい、こういう水着(注・コスチューム)を着て……』なんて思っていたけど、現実を突きつけられた感じがあって、目を覚まされました」

 あこがれて入った世界の裏側を見て、くじけそうになりながらも、なんとかデビューにこぎつける。しかし、そこから先も苦闘の日々は続いた。

「初めの1~2カ月くらいは、すごい褒めてくれるんですよ。『頑張ってたね』『良かったよ』って。ところが、2~3カ月ぐらい経つと、先輩たちの要求も高くなってきたんです。『もう自分の満足だけじゃないよ、お客さんをちゃんと見て』って。

 でも当時はまだ、お客さんを見る余裕もないし、声も聞こえない。『自己満足のプロレスになっちゃってる』って気づいてからが苦痛だったんですけど、そこから自分の立ち位置とか武器とか、いろいろ考えるようになって。

 余裕ができたのなんて、デビューから6~7年後で、それまでは、毎回変わる試合展開に四苦八苦していて、毎日が勉強でした。『この試合最高だった!』っていう試合なんて、現役中1回あるかないかぐらい。目の前のものを追うのに精一杯でした」

 キューティーがプロデビューして以来、昔からの「プロレスファン」だけでなく、「アイドルファン」が試合会場に殺到した。

「元からプロレス好きなファンのなかには、『芸能の仕事はしないで、もっと練習して強くなれ』とおっしゃる方もいました。アイドル好きな人たちのほうが、じつはレスラーとしてのわたしを温かく迎えてくれていたので、ありがたく思うときも多かったかな。

 ただ、アイドルファンの人たちは、ちょっと優しく対応すると、行き過ぎてしまうことも多かったですね。ずいぶん昔の話なんですけど、たとえば手紙に婚姻届を入れてきて『判を捺してくれ』とか、『探偵を使って家を知ったぞ』とか……。

 意外にそういう人たちって、直接会うと、なにも言えないんです。でも、手紙ではガンガン攻めてくる。いまみたいに『ストーカー』っていう言葉もなかったですが、そういうのはちょっと薄気味悪いなって。

 もし家の近くにいたとしても、どうにか力で対処はできるので、怖さはそれほどなかったんですけどね(笑)」

 キューティーのアイドルファンが増えた理由のひとつが、グラビアだ。これまでキューティーが発行した写真集の数は、14冊。もちろん女子レスラー最多記録で、なかなか達成することのできない金字塔だ。

「写真集のロケで行くのは基本的に海外で、日本での日々とは違って、毎回すごくいい思いをさせてもらっていたと思います。

 撮影はハワイが多かったんですけど、パラオに行ったときは、撮休時間にスキューバをやらせてもらって。シャコ貝の産卵にたまたま出会えて、コーディネーターの人から『珍しいから、ちゃんと見ておいたほうがいいよ』と言われたなあ。

 わたし意外と同じカメラマンさんに撮っていただくことが多かったんですけど、清水清太郎さんは面白かったです。ヌード写真じゃないのに、『ニップレスは取れ!』とか(笑)。はっきり言ってくださるので、気持ちがいい方でした。

 イヤラシさみたいなものは全然感じなくて、『とにかく勢いのある人だな~』と思っていました。カメラマンさんって、『「いいよ~」「かわいいよ~」と言う生き物かな』と思っていたんですけど、清太郎さんは全然違いましたね。

『さっきからこっち見ろって言ってんだろ!』って怒鳴られるんですけど、こっちも『聞こえないんだよ!』みたいな応酬をして。おかげで、楽しんで撮影をすることができました」

 テレビの仕事も、どんどん増えていった。しかし、なかなか楽しむことができなかったという。

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最終更新:6/9(日) 16:20
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