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赤神諒のライフワーク〈大友サーガ〉執筆の原点を探る! 赤神諒×細谷正充特別対談

6/10(月) 8:00配信

Book Bang

デビュー作『大友二階崩れ』以降、小社刊の『大友の聖将』、『大友落月記』(日本経済新聞出版社)と、大友氏を書き続けている赤神諒氏。いつしか《大友サーガ》とまで言われるようになった、これらのライフワークとも言える執筆の原点はどこにあるのか。文芸評論家の細谷正充氏との対談で、その創作の秘密に迫る。

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歴史小説と大友氏を書くようになった契機とは? 

細谷正充(以下、細谷) 小説は昔から好きだったのでしょうか。

赤神諒(以下、赤神) はい、好きでした。私の祖父が英文学者で、三歳の頃からシェイクスピアの『マクベス』を見せられたりですね……。

細谷 「見せられたり」というのはどういうことですか。

赤神 劇場に連れていかれました。今でも鮮明に情景を覚えています。

細谷 英才教育ですね(笑)。

赤神 もう摺り込みですね。その後も「これを読め」とお子様向けの世界文学全集を渡されたりしました。BBCが製作して、NHKが放送していた「シェークスピア劇場」も録画を含めて全部見ましたね。祖父が同志社大学で教えていて、「お前が後を継げ」という話で同志社中学に入って、中二の頃にはシェイクスピアは全部読んでいました。自室から徒歩五秒ぐらいのところに祖父の書斎があって、世界文学全集が読み放題。司法試験に集中する大学二年生になる前くらいまで、片っ端から読んでいました。

細谷 歴史小説を読むようになったのは。

赤神 小学生の頃に『三国志』好きの友人に勧められて、最初は岩波少年文庫から入って、羅貫中の『三国志演義』を読みました。十回以上は読んでますね。歴史好きになると当然、司馬遼太郎も読みたくなる。他にも、吉川英治や新田次郎も読むようになりました。シェイクスピアの史劇も好きでしたね。

細谷 小説を書こうと思ったのはいつ頃からですか。

赤神 今、思い返すと、小学四、五年の頃に、いわゆる「セカイ系」を書いていたんですよ(笑)。私は美術も音楽も好きなんですが、才能がない。高三くらいの頃に、芸術は一握りの才能の持ち主しか作れない、きっと文学もそうだろう。自分には多少気の利いた文章は書けても、物語を作るのは無理だろうと勝手に思い込んで、その後はずっと好きで法律をやっていました。でも、仕事でいくらいい文章を書いても、読んでくれる人は少ない。ある時、ベストセラー小説を読んで、失礼ですが「これやったら、俺でも書けるわ」と思って書き始めました。それが三十七の頃で、以来、渾身の自信作を応募しては毎回落とされるという日々でした。

細谷 応募作は最初から歴史小説だったのですか。

赤神 いえ、気分転換もあって、歴史物と現代物を交互に書いていました。でも現代物はよくて二次で、歴史物のほうが戦績がよかったんですね。「じゃあ歴史物でデビュー狙ったほうが早いな」と思って、デビューの二年ほど前に歴史物に絞り込みました。

細谷 それで『大友二階崩れ』(受賞時タイトル「義と愛と」)で受賞してデビューするわけですが、なぜ大友家を題材にしたのでしょう。

赤神 人生で書ける小説の数って限られていますよね。だとすると「書きたい」と思える人物なり事件を書きたい。そうでないと、よいものが書けないし、情熱が続かない。そういった題材を北から探して、九州まで下っていきました。大友家は宗麟を除けばそれほど書かれていないので、書きたい題材がゴロゴロあったんですよ。しかも、あまり史実が分かっていなくて、想像力豊かに嘘八百が書けるんですね(笑)。

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最終更新:6/10(月) 8:00
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