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「水の都・松江」の魅力が詰まった国宝・松江城と堀川めぐり

6/11(火) 15:30配信

nippon.com

島根県の県庁所在地・松江市は、観光都市としての一面も持つ。東西に中海と宍道湖を擁し、城下町として栄えた一帯には堀川が流れる「水の都」だ。松江観光の目玉、国宝・松江城と「堀川めぐり」を紹介する。

城造りの名人が誕生させた美しい水辺の町

江戸時代から城下町として発展した松江は、湖としては国内5番目の大きさの中海(なかうみ)、7番目の大きさの宍道湖(しんじこ)に挟まれている。2つの湖を結ぶ大橋川が街の中心を流れ、国宝・松江城の堀から広がる水路「松江堀川(通称:堀川)」が縦横に走る「水の都」には、年間1000万人の観光客が訪れる。

「松江開府の祖」と呼ばれるのは、豊臣秀吉、徳川家康と2人の天下人に仕えた戦国武将の堀尾吉晴。関ヶ原の合戦(1600年)の軍功で出雲・隠岐両国を拝領した息子の忠氏(ただうじ)と共に、難攻不落の要塞城として知られた月山富田城(島根県安来市)に入った。しかし、山城の月山富田よりも、水に恵まれた松江の将来性に着目し、忠氏の早世後は、孫・忠晴の後見人として松江城と城下町を建設し、現在の町の礎を築いた。

堀尾家は忠晴の代で途絶えたが、その後、京極家1代、松平家10代にわたり、18万6000石の城下町として発展した。京都、金沢と並ぶ「茶どころ、菓子どころ」として茶の湯文化や和菓子文化が花開く。ホーランエンヤなど独自の祭りも誕生した。

65年ぶりに国宝へ復帰した松江城

松江城は、日本に現存する12天守の一つで、山陰地方では唯一。入母屋破風(いりもやはふ)と呼ばれる、千鳥が羽を広げたような屋根の造形が特徴的で、「千鳥城」の愛称でも親しまれてきた。

それに加え、黒く塗った雨覆板(下見板張り)で壁の大部分が覆われるなど、桃山時代の築城様式を今に伝えている。

松江城が国宝指定されたのは、2015年のこと。実は、戦後1950年に施行された文化財保護法によって、松江城は「国宝から重要文化財に格下げ」された不本意な過去がある。築城時期が特定できなかったことなどが理由だ。松江市は国に陳情したり、懸賞金を出して市民に証拠の品の発見を呼び掛けたりして長年、国宝返り咲きの努力を重ねていた。

2012年に城内の神社を調査している際に、「慶長十六年(1611年)」と墨書きされた天守創建に関わる2枚の祈祷札が発見され、天守地階にある2本の柱の札跡にピタリとはまった。創建時期が特定されたことで、悲願の国宝再指定が実現した。

天守の地階中央部には、籠城に備え、飲み水を確保するために造られた井戸がある。天守内部に井戸を備えるのは現存12天守で唯一。さらに地階は、塩をはじめとする食糧庫の役割を果たしており、松江城が実戦を想定した城であることを物語っている。

2階から4階までは、矢狭間(やざま)や石落としなど城ならではの造作の解説や、鎧兜(よろいかぶと)や火縄銃などの資料、ドローンで撮影した映像が流れるデジタルサイネージなどを展示している。

5階の天守閣も古式にのっとった望楼式で、室内に壁は一切なく360度が見渡せる。条例によって松江城の周りには高い建物がないので、眺望も素晴らしい。松江観光の際には、まず天守に登って地形を把握しておくとより楽しめるだろう。

櫓(やぐら)などは、明治期に売却されて取り壊されたが、2001年に3つの櫓が復元されている。城山公園内には、大正天皇が皇太子時代に宿泊した興雲閣、国宝返り咲きのカギとなった祈祷札が見付かった松江神社、城の裏手には城山稲荷神社など由緒ある建物が多い。春には約360本の桜が城内を彩り、「さくら名所100選」にも選ばれている。

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最終更新:6/11(火) 15:30
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