ここから本文です

「なつぞら」渡辺麻友&木下ほうかが演じる東洋動画の「モデル」人物がスゴイ!

6/12(水) 7:08配信

FRIDAY

アニメータ―・大田朱美と監督・藪下泰司のヒストリー

NHK朝の連続テレビ小説『なつぞら』。「日本のアニメーションの草創期」がメインテーマで、ヒロインの奥原なつ(広瀬すず)は北海道・十勝から東京に生活の場を移し、自らの夢であるアニメーターになるべく奮闘している。

【毎日違う服装は実話!】朝ドラ『なつぞら』広瀬すずヒロインのモデル・奥山玲子さんの全て

『なつぞら』は脚本家・大森寿美男が執筆しているオリジナル作品だが、アニメーションの勃興期を知る様々な関係者に入念に取材し、登場人物の造形やエピソード、設定などに活かしている。

ヒロインの「奥原なつ」は、実在のアニメーター「奥山玲子」をモデル、モチーフにしているし、実在の制作会社「東映動画」と長編漫画映画『白蛇伝』が、朝ドラでは「東洋動画」『白蛇姫』と名前を変えつつ、重要な要素となっている。そして、奥原なつが働く「東洋動画」の先輩や同僚たちも、実在の人物をヒントにして設計されているのだ。

そこで今回は、なつより先にアニメータ試験に合格した三村茜(渡辺麻友)と、アニメーション監督の露木重彦(木下ほうか)を紹介する。ドラマ独自の展開や解釈を大いに楽しみつつ、実在の人物の業績にも思いをはせる一助にしていただきたい。※文中、敬称略


◆三村茜(みむら・あかね):渡辺麻友
絵を描くのが大好きな、おっとりとした女の子。漫画映画をよく知らず、東洋動画には見習いとして就職するが、その面白さにひかれていく。なつと一緒に受けた社内試験では繊細な絵が評価され合格。なつより一足先に正式にアニメーターとなる。※『なつぞら』公式サイト(NHK)より抜粋

⇒★大田朱美(おおた・あけみ):モデル、ヒントと思われる人物◆
1938年生まれ。父親は版画家の大田耕士。アニメーターとして東映動画に入社し、新人として『白蛇伝』の動画に加わった。その後も長編漫画映画の動画スタッフとして、『少年猿飛佐助』、『西遊記』、『安寿と厨子王』、『アラビアンナイト シンドバッドの冒険』、『わんぱく王子の大蛇退治』などに携わった。森康二は大田が描く絵を高く評価しており、アニメーターとして将来を嘱望されていた。

当時、東映動画に在籍していた演出家の芹川有吾が、後にインタビューで大田のことを「女だてらに無愛想で、とってもオッカナイ少女だった。おっかないだけに、たまにニッコリ笑ってくれる顔はとてもチャーミングだった」と言及している。

1965年10月に、後輩にあたる宮崎駿と結婚。結婚後も共働きの約束をしており、『ガリバーの宇宙旅行』(1965年)、『長靴をはいた猫』(1969年)、『アリババと40匹の盗賊』(1971年)などの動画を担当した。

その間、1967年1月に長男の吾朗(後にアニメ監督)、1969年4月には次男の敬介(後に版画家)を出産した。しかし、駿が東映動画を辞めてAプロダクションに移籍すると、深夜帰宅が続くようになり「共働きは無理」と断念。朱美は退職し、育児に専念するようになった。スタジオジブリで精力的に仕事をこなす夫の駿のために手作り弁当を作り続けたなど、夫婦仲の良さを語るエピソードも多い。

後に、自分は夫よりも絵がうまいが、結婚したら自分が絵を描く仕事をやめることになったと、アニメーターの仕事に対して未練があったことを知人に話したという。この決断に関しては、宮崎駿も「女房には申し訳なかったと、いまもそう思っています」と、中日新聞のインタビューで触れている。

大田は、働きながら子育てをしていた5年間の様子をスケッチ日記にしたためており、2人の子どもは、小学校低学年までそのスケッチ日記を眺めて楽しんでいたという。そのスケッチ日記は、『ゴローとケイスケ -お母さんの育児絵日記-』(徳間書店/1987年)として発売。また『トトロの生まれたところ』(岩波書店/2018年/宮崎駿監修/スタジオジブリ編)で、所沢の四季折々の自然な魅力や植生をスケッチ日記で紹介する「ふるさとスケッチ日記」のパートを担当するなど、現在も絵を描き続けている。

◆露木重彦(つゆき・しげひこ):木下ほうか
東洋映画所属のベテラン映画監督。日本初の長編アニメーションの監督に起用されるが実写映画しか経験がなく、不慣れなアニメーションの世界に戸惑うばかり。アニメーターたちと時にぶつかり、時に協力して、成功に尽力する。※『なつぞら』公式サイト(NHK)より抜粋

⇒★藪下泰司(やぶした・たいじ)モデル、ヒントと思われる人物◆
藪下泰司(やぶしたたいじ)1903(明治36)年に大阪府で生まれる。1925(大正14)年に東京美術学校(現・東京芸術大学美術学部)の写真科を卒業し、松竹蒲田撮影所に入社。現像部でフィルム多色処理を研究した。1927(昭和2)年に、文部省社会教育局の嘱託で映画制作設備を創設し、ツェッペリン号飛来時の無声記録短編映画などを担当し、記録映画の制作をしていた。

アニメーション作品の制作に初めて参加したのは、1948年に創立された日本動画株式会社(後に日動映画株式会社に名称変更)への入社がきっかけ。『トラちゃんと花嫁』、『ポッポやさん』シリーズで撮影や制作を担当したほか、『子うさぎものがたり』では脚本、『うかれバイオリン』では演出・脚本をこなす一方、会社の代表取締役に就任するなど、経営・制作面にまたがるオールマイティーな活躍を見せた。

1956年に、日動映画が東映動画に吸収された後も、引き続き演出を担当し、短編漫画映画『こねこのらくがき』を制作。続いて『白蛇伝』の演出を務めて興行的に成功を収め、『安寿と厨子王丸』、『少年猿飛佐助』などの長編漫画映画の演出を連続して担当した。長編漫画映画の制作にあたり、森康二とともにスタッフの採用や新人演出家の育成にも尽力した。

1967年に『ひょっこりひょうたん島』の興行的不振を受けて、東映動画の演出部門から退いた。後に『日本漫画映画発達史漫画誕生』と『日本漫画映画発達史アニメ新画帖』の2本の映画を制作。多くのアニメ業界人や研究家の協力を得て、戦前から戦後にかけての日本国内のアニメーションの歩みを紹介した、貴重なフィルムを残し、演出の現場から離れた。

晩年は、東京デザイナー学院や東京写真専門学校で講師を通じて後進の育成・指導をしたり、アニメーションについての体系的な文献、『映画の創造』や『アニメ原論』の著書を執筆したりするなど、日本アニメ界の土台を築いた。

藪下の孫で、映画監督の高橋玄によると、藪下は大正育ちのモダンボーイで、普段からシャッポ(帽子)に紐ネクタイでパイプの煙草を吸っていたダンディでオシャレだったという。孫が学校をサボっても、そういうのが楽しいんだと擁護してくれたといい、社会常識にこだわらないアーティスト気質な人物だったことが伺える。

【大田朱美:参考サイト】
日本映画データベース
女性自身 宮崎駿監督 知人語る引退後……「妻と一緒にアニメ制作も」
ジブリの世界 宮崎朱美の育児絵日記『ゴローとケイスケ』
岩波書店 トトロの生まれたところ

【藪下泰司:参考サイト】
コトバンク 藪下泰司
exciteニュース 宮崎駿も惚れた「萌え」の原点を創った男―孫が語る藪下泰司の伝説
allcinema「日本漫画映画発達史・漫画映画誕生」
allcinema「日本漫画映画発達史・アニメ新画帖」

取材・構成:中村美奈子(なかむらみなこ)
ライター。静岡県出身。ゲーム雑誌&書籍の編集ライターを経て、アニメ・漫画・映画ライターに。声優、アニメ監督、漫画家へのインタビュー記事をメインに執筆活動。WEBサイトの執筆場所は「アニメ!アニメ!」「シネマトゥデイ」「KIKI」など。紙媒体は、漫画ファンブック、声優イベントのパンフレット制作、「シネコンウォーカー」などに執筆。今はMCUとスターウォーズ、声優アイドルグループi☆Risの追っかけに夢中。好きなゲームは風来のシレンとパズル系。

最終更新:8/19(月) 10:20
FRIDAY

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事