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【ホンダF1活動第2期の10年 その1】スピリット・ホンダ201C(1983)は活動の口火を切った記念碑的マシンだった

6/12(水) 19:37配信

Webモーターマガジン

好成績を残せなかったが頂点への足がかりを作る

国内のどのメーカーも考えもしなかったF1チャレンジ(第1期:1964-1968)を経て、シビック、アコードの成功によって自動車メーカーへと成長していたホンダ。再びF1に挑戦して大きな成果を上げた第2期(1983-1992年)とはどんな時代だったのか。そのマシンとともに当時を振り返る連載企画をお届けする。

【写真】エンジンやヨハンソンなど当時のシーンをもっと見る

1978年、F1復帰を発表したホンダだったが、第1期終了から10年の技術進歩を考えるとすぐには踏み切れず、まずF2での実績と経験を積み上げてからF1に挑戦することになった。そのため、F1の参戦までには5年の歳月を費やすことになる。

F2参戦2年目の1981年に欧州F2を制覇し、1983年から1984年には12連勝を記録。F2を戦いながら、1983年からいよいよF1のエンジン開発にも着手、第2期はコンストラクターにエンジンを供給する方法をとることになった。

F1活動第2期開始を告げる記念碑的モデルとなったのが、このスピリット・ホンダ 201C。スピリットはホンダが出資して興したレーシングコンストラクターで、1982年にまず欧州F2選手権に参戦して3勝をマーク。そして翌1983年にはF2マシンをF1用に仕立て直した「201C」に1.5L V6ターボエンジン(RA163E型)を搭載し、いよいよ1983年7月の第9戦イギリスGPでF1デビューを果たすことになる。

しかし、F2マシンをベースとしたシャシでは限界があり、また画期的な燃料噴射装置を備えたエンジンにもトラブルが多発、ドライバーにステファン・ヨハンソンを起用したスピリット・ホンダ 201Cは6戦して最高位7位(第12戦オランダGP)という成績で1983年シーズンを終えた。

スピリットは次のシーズンに向けて新しいシャシを準備したものの、1984年、結局ホンダはウィリアムズと組むことになる。これにより、スピリットは短命に終わってしまったが、F1復帰への足がかりという重要な役割を果たしたのだった。(写真:金子 博)

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最終更新:6/12(水) 19:37
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