ここから本文です

【文庫双六】乱歩の言語感覚が脈打つ“タイトル”――野崎歓

6/12(水) 7:00配信

Book Bang

【前回の文庫双六】若き熱気が充満する大藪春彦デビュー作――北上次郎
https://www.bookbang.jp/review/article/567597

 ***

 英国の「桂冠(けいかん)詩人」という名誉ある地位についたのだから、セシル・デイ=ルイスは立派な詩人だったのだろう。だがわが国ではもっぱら、彼がニコラス・ブレイク名義で書いたミステリーのほうが親しまれてきた。とりわけこの一冊である。

 主人公レインの幼い一人息子が轢き逃げ事故で死んでしまう。犯人は一向に見つからない。絶望の淵でレインは、自分の手で犯人を見つけ出し、復讐することを決意する。

 第一部はレインの「日記」という形式で、犯人らしき人物に接近し殺害計画を遂行するプロセスを描き出す。第二部は三人称の客観的記述。事態はレインの思いどおりとはいかない。そして第三部になると名探偵ナイジェル・ストレンジウェイズが登場し、入り組んだ謎の真相が明らかになる。

 三部形式が見事に決まっている。詩人の作と思って読むせいか、文章に香り高いものを感じる。謎解きはシンプルだが説得力があり唸らされる。80年以上前の作品とはいえ新鮮だ。

 表題は「伝道之書」を典拠とする、ブラームスの歌曲の歌詞から来ていると作品結末に説明がある。「獣は死すべき運命にあり、人もまた死ぬ、かくて獣も人もともどもに死すべき運命にある」という歌詞だ。

 聖書にあたってみると、これは結局、人間は動物に何ら勝るところはないという意味なのである。その文脈からすれば『野獣死すべし』は意訳というか、かなり感じが違う(原題はザ・ビースト・マスト・ダイ)。しかしもちろん邦題としてはインパクト大だ。文庫巻末に収録されている植草甚一のエッセーには、『野獣死すべし』という題は「昭和二十一年のことだが江戸川乱歩がつけた」とある。

 調べてみると、なるほど、早くも終戦の翌年、乱歩はイギリス探偵小説論の中でこの題で本作品に触れていた。

 本作品にちなむ大藪春彦の出世作のタイトルには、じつは乱歩の言語感覚が脈打っていたのである。

[レビュアー]野崎歓(仏文学者・東京大学教授)

新潮社 週刊新潮 2019年6月6日号 掲載

新潮社

最終更新:6/12(水) 7:00
Book Bang

記事提供社からのご案内(外部サイト)

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事

Yahoo!ニュースからのお知らせ