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【娘のきもち】一緒に暮らすことを強制する権利は誰にもない。家族バラバラで生活する距離感が私たち家族には合っていた

6/13(木) 11:07配信

サライ.jp

取材・文/ふじのあやこ

家族との関係を娘目線で振り返る本連載。幼少期、思春期を経て、親に感じていた気持ちを探ります。

今回お話を伺ったのは、東京の企業でマネジメントの仕事をしている亜由美さん(仮名・37歳)。兵庫県出身で、両親との3人家族。仕事で顔を合わせる機会さえなかった父親が転職し、毎晩早めに帰宅してくるように。嫌いではなかったものの、どう接していいかわからず両親との時間を避けるようになっていきます。

「父が頻繁に買って帰ってきていたケーキは歩み寄りのサインだった。今でこそわかるんですが、高校生の私には太ってしまう、邪魔なものだった。食卓を囲んでいる時に出されたら食べるしかないから、晩御飯の時間には理由をつけて帰らなかった。ご飯を用意してくれていた母親に対してもひどいことをしていました」

両親のことは嫌いじゃない。ただ、どう接したらいいのかわからなかった

亜由美さんは家族との時間を避けるようになり、大阪の短大へ進学後は学校の近くで一人暮らしする友人の家に入り浸り、実家に帰る機会さえ少なくなっていきます。

「私は兵庫県の東寄りのところで、大阪の学校までは電車で1時間もかからないので、一人暮らしは反対されました。反対されていたのは母親にだけ、父親には相談もしていません。そのことを母親から聞いて知っていたかさえ知りません。

1年の頃はまだ実家から通っていたんですが、徐々に友人宅で過ごす時間を多くしていきました。友人には家賃の3分の1ぐらいは払っていたから、追い出されることもなかったです。帰らなくなってきた娘に対しても、両親は何も言いませんでした。私が通っていたのは短大なので、居候先も女性の家だったからというのもあるとは思うんですが。母親からは『帰ってきなさいよ』と注意は受けていましたが、帰らなくてもしつこく電話をかけてくることはなかった。今振り返ると、母親との距離も微妙な時期だったのかもしれませんね」

短大を卒業後は、居候していた友人と本格的なルームシェアを開始。引越しは友人に頼み、両親のいない平日に。両親のことを嫌いではなかったと終始口にする亜由美さんですが、3人になる空間を避けていた認識は残っているそう。

「週末に引越し作業を行うと、必然的に両親が手伝ってくれますよね。ありがたいんですが、最後の晩餐じゃないけど、しんみりする食卓を避けたかったから、わざと平日を選びました。家電は友人の使っていたものがあったから、私が運んだのは小さなタンスと服ぐらい。普通免許でいけるワゴン車をレンタルして、数時間の作業で終わりました。

引越しが終わったその日の夜に母親から連絡はありましたが、父親からはなし。私は父親の携帯番号は知っていたけど、メールアドレスは知らなかったからメールでの連絡も取ったことがありませんでした。そのことも普通のことだと思っていました」

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最終更新:6/13(木) 11:48
サライ.jp

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