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“世界遺産”登録へ 前方後円墳をつくる大きな意味とは?〈週刊朝日〉

6/18(火) 11:30配信

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「百舌鳥・古市古墳群」が6月末からの第43回世界遺産委員会で世界文化遺産に登録される見通しである。そこで、いまだ謎が多い古墳とは何か、じっくり掘り下げてみたい。

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■ムラの「ランドマーク」だった

「古墳は大王や王(豪族)の墓で、人々をムチ打って墓づくりに動員したのではなく、王を奉じる人々が積極的に関わったと考えられます。いわば共同体のシンボルといえるでしょう」と明治大学准教授の若狭徹さん。

 とくに前方後円墳を造るには文化と政治の中心であったヤマト王権の承認が必要で、前方後円墳はヤマト王権のメンバーである証しだった。中央から進んだ文化がもたらされ、経済的にも恵まれることを意味した。

「前方後円墳築造の承認を受け、ヤマト王権との関係の深さを示すことで、王は他地域の王より優位になれたのです」

 前方後円墳を造ることが許された王はムラの人々から敬意を払われ、死後丁重に埋葬された。

「王は古墳づくりの共同作業によって地域を上手に統治し、ムラ人は王の事績を表す埴輪の並ぶ古墳を見て、地域の安定を約束されたと感じていたでしょう。古墳は、いわば“見せる王権”ともいえる存在でした」

■古墳を守り飾る「埴輪」

 古墳時代にはさまざまなものが造られ、そのいくつかは現在も目にすることができる。なかでもユニークなのは埴輪で、古墳の周囲や墳丘に数多く立て並べられた。

「筒形の埴輪は、古墳を守る垣根のような存在で、魔除けの意味もあったと考えられます」(若狭さん)

 円筒埴輪や盾持ち人埴輪は威嚇し、人物・動物埴輪群像は、王の事績を示し人々を安心させるものだった。さらに、異彩を放つ造形で、常に人に見られることを意識した「公の芸術品」でもあったといえるかもしれない。

■豪華で華やかな「副葬品」

 古墳の周囲に並べられ、見られることを意識した埴輪とは異なり、副葬品は大王や王とともに埋葬され、儀式に参加したり、埋葬をしたりした一部の者しか目にすることができなかった。

 銅鏡や、銅剣、甲冑などの武具をはじめ、金や銀の耳飾り、翡翠、水晶の勾玉などの装飾品など、豪華で貴重なものも埋葬された。副葬品に豪華で貴重なものが多いのは、埋葬された王や支配者の地位や権威を表すものでもあったからである。

 ただし、大王や王は力で絶対服従的に地域集団を支配したのではないので、敬意を持たれていたともいえる。そして死後も生前のような生活が送れることを願ったのかもしれない。

 豪華で貴重な副葬品の数々は、大王や王が死後の世界も豊かに生活を送れるようにした証しでもある。(取材・文/本誌・鮎川哲也)

※週刊朝日  2019年6月21日号

最終更新:6/18(火) 11:30
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