ここから本文です

山田精二さんと語り尽くした「これからのビールのこと」

6/14(金) 5:00配信

商業界オンライン

中見 これまでの経歴をお聞かせください。

山田 1965年に島根県に生まれ。広島の高校から早稲田大学に入り、89年にキリンビールに入社しました。東京支社立川支店での営業を4年経験し、93年に東京支社のセールスプランニング部門に移り、営業の支援や企画を6年ほどやりました。

 その後、99年に本社商品企画部門のマーケティング部で、ブランドマーケティングを担当することになりました。2002年には『淡麗グリーンラベル』ブランド開発を手掛け、同時期にセールスプロモーションの『サッカー日本代表応援・勝ちTキャンペーン』を開発しました。2003年には六本木ヒルズの『ハートランドビール』のコンセプトショップのプロデュースのようなものも行いました。

 04年には『一番搾り』の初リニューアルを手掛けており、その際、「ニッポンの美味いものと、一番搾り」という広告コミュニケーションを実施しました。また、今も継続している『一番搾り とれたてホップ』の開発を行いましたが、今でいうCSVの先駆けであったと思っております。05年にはマーケティング部での最後の仕事になりましたが、『選ぼうニッポンのうまいキャンペーン』という地域を応援するセールスプロモーションを企画させてもらいました。これが、自身の第1期マーケティング時代です。

 その後は仙台に赴任し、営業企画部門で3年ほど働いた後、これまでのキャリアとは全く異なるキリンホールディングス人事総務部の人事担当で3年半ほど働きました。12年にキリンビバレッジのマーケティング部門に移り、13年1月にマーケティング部長、15年からキリンビールの企画部部長となり、現在に至っています。

会社員生活で印象に残っている仕事

中見 最も印象に残っている仕事、ご苦労された仕事は?

山田 02~03年にかけて関わったマーケティング部での仕事は特に思い出に残っています。その頃、家庭用生ビールのシステム開発や、『勝ちTキャンペーン』の開発、『淡麗グリーンラベル』のブランドマーケティング、『ハートランドビール』の店舗を立ち上げるなど、さまざまな業務を担当していて、自身の仕事の間口を広げることができました。仕事自体は本当にきつかったのですが、とにかく仕事することが面白かった。担当した業務ができる、できないではなくて、どうやったらできるようになるかという発想に自身が変わりました。最初の10年のキャリアでは、与えられた仕事に対して、どのようにうまくやるかということが主でした。しかし、マーケティング部に移って、その業務を実現するために、どういうことをやろうかという発想に変わりました。

 その中でいろいろな商品やサービスにチャレンジできました。『ハートランドビール』のお店をつくったことは思い出の1つですが、『淡麗グリーンラベル』の商品開発に関われたことも大きかったです。当時の社内では、健康系の商品は売れないといわれていました。今は「糖質オフ系の商品」はすごく売れていますが、それまでそうした商品はなかったのです。『淡麗グリーンラベル』が「糖質オフ」という言葉を顕在化させ、ムーブメントに最初の火を点けられた商品だったのかなと自負しています。

中見 02~03年の時点で、どのように「糖質オフ」に着眼されたのですか。

山田 99年3月にマーケティング部に来たときに、『ラガースペシャルライト』という商品がありました。糖質50%オフのビールで、いい商品で味覚調査も抜群だけど、そんなに売れない。私が担当したのは33歳か34歳の頃でした。自分たち世代の価値観としては「健康」が普通になっているのに、ビールだけ「健康にいいもの」を意識した商品がないのはおかしいと思っていました。都会に暮らし、ジムに行く人は普通にこうしたビールを飲んでいいはずだと思うのに、なかなか売れない。

 そこで、この商品を発泡酒でやったらうまくいくのではという仮説に至りました。ちょうど発泡酒が出てきた頃で、ビールは濃くて値段が高く、発泡酒はすっきりおいしくて値段が安いという認識がありました。カロリーオフは薄くてまずそうというネガティブなイメージもありましたが、すっきりした味わいが特徴の発泡酒で糖質オフ商品をつくれば、買い求めやすい価格で納得感があるのではないかと思ったのです。

 当時のアメリカは既に『バドライト』がナンバーワンブランドでしたし、アメリカの例から数年経つと健康に対する家計支出も何倍にもなることが分かっていたので、普通の人が健康を意識しないことは決してなく、潜在的なポテンシャルはかなりある。こうしたことを私とリーダーで議論し、従来のビール業界の常識にとらわれず、われわれは違うアプローチをするのだと決心し、この分野にキリンとして真剣に取り込もうという結論に至ったのです。

 アメリカの市場と日本の市場は結構、シンクロしているのです。例えば昔の日本のビールに関する常識は「ビールは単一価格」ということ。日本人は中流の人が多いので、プレミアム、スタンダード、エコノミーという価格ピラミッドは起きないと、80年代ぐらいは何の根拠もなく皆が言っていました。それが、発泡酒と新ジャンル(第三のビール)という新カテゴリーが出てきて、さらにプレミアムビールというカテゴリーができて、今日の価格ピラミッドが出来上がりました。

 日本人は肥満率が低く、東アジアでは酒が強いほど偉いという文化がベースとしてあるので、日本人にライトというか、カロリーを気にした商品は売れないという話が通説でしたが、アメリカでは既に『バドライト』『ミラーズライト』『クアーズライト』がメイン商品になっていました。結局、日本でもアメリカと同様の健康志向の流れに向かっていたのです。

1/8ページ

最終更新:6/17(月) 12:15
商業界オンライン

記事提供社からのご案内(外部サイト)

商業界オンライン

株式会社商業界

流通業界で働く人の
オールインワン媒体

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事