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平成とジャズ:イタリアン・ジャズ 前編

6/14(金) 8:10配信

otocoto

「ジャズと平成」シリーズ、今回はイタリアです。50~70年代のイタリアのジャズのレコードが復刻されたり、若手ミュージシャンがまるで50年代に回帰したようなスタイルのジャズを演奏して、それが若いリスナーに師事されたりしたブームを改めて振り返ります。


2000年前後ごろから突如、イタリアのジャズの話題が雑誌に載り始めて、レコードショップに50-70年代ごろのイタリアンジャズの再発のCDやレコードが入荷され始めた。それ以前にもヨーロッパのジャズは日本にもたくさん入ってきてはいたのだが、イタリアのジャズの情報なんてほとんどのジャズリスナーは持っていなかったし、ジャズ専門誌にもわずかにしか載っていなかった。おそらくエンリコ・ラヴァやエンリコ・ピエラヌンツィ以外はよほど熱心なヨーロッパジャズマニアでなければ知らなかったような状態だったはずだ。それが2000年代にちょっとしたブームになったのだ。

この連載の「#05 平成の幕開けとクラブジャズ」でも少し触れたが、1980年代前半にイギリスでハードバップやアフロキューバンなどのジャズをDJがかけて、それに合わせてダンサーが躍るムーブメントが生まれた。これはアシッドジャズやクラブジャズに繋がるクラブとジャズの関係の出発点のようなムーブメントで、そこからジャズのレコードをプレイするDJという文化が定着し、世界中に広まっていった。そんなムーブメントから影響を受けたDJはイタリアにもいたことが一つの契機だった。

ニコラ・コンテとジェラルド・フリジーナはそんなUK初のムーブメントからの影響を受けたイタリア人のDJでありプロデューサーで、イタリアンジャズのブームを起こした重要人物だ。

イタリアにはもともとハウス系のレーベルだったIRMA RECORDSというレーベルがあり、UKでのアシッドジャズの狂騒を独自のコンピレーション盤としてリリースしてイタリアに届けたりしていたし、そもそもIRMAからリリースされるものもUKのムーブメントから影響を受けたものが少なくなかった。IRMAのリリースを見ていても、イタリアではUKからの影響がクラブシーンでのトレンドだった様子がうかがえる。

そんなイタリアでニコラ・コンテとジェラルド・フリジーナは90年代の半ばくらいから、UKのクラブシーンやアシッドジャズを通過した感性でジャズバンドをプロデュースしたりするようになる。Paolo Achenza Trio、Quintetto X、Fez Comboなど、彼らが関わった初期のカタログを聴いてみると、James Taylor Quartet的なDJ向けの生バンドをアコースティックのジャズでやってみているような雰囲気もあり、同時にアシッドジャズ以前にもともとプレイされていた50~60年代のハードバップやアフロキューバンのような音色でDJ好みの音源を作ろうとしたような雰囲気もある。そして、彼らはSchema Recordsを立ち上げ、更に自分たちの音楽を推し進める。

彼らは1999年にレーベルの名前を冠したバンドのSchema Sextetの作品『Look Out (Tribute To Basso / Valdambrini))』を発表する。トランぺッターのファブリツィオ・ボッソを中心にしたイタリアのジャズシーンの若手奏者が集まったこのバンドのデビュー作のコンセプトは、イタリアのジャズシーンにおけるレジェンドであり最重要人物的に存在だったトランぺッターのオスカル・ヴァルダンブリーニと、サックス奏者のジャンニ・バッソが結成していたバッソ=ヴァンダブリーニ・セクステットへのオマージュだった。

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最終更新:6/14(金) 8:10
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