ここから本文です

剣豪・宮本武蔵:その実像と『五輪書』に見る兵法思想

6/14(金) 15:02配信

nippon.com

魚住 孝至

江戸初期の剣術家・宮本武蔵は、生涯に60回以上命がけの勝負をして一度も敗れなかった。晩年に著した『五輪書』は剣術書中の白眉とされる。史実をもとにその実像に迫る。

宮本武蔵は、『五輪書』(ごりんのしょ)や吉川英治の小説『宮本武蔵』が多くの言語に翻訳されており、海外でも有名である。しかし小説や映画、漫画などで描かれる真剣勝負に生きた浪人・剣豪のイメージは、武蔵没後130年に書かれた伝記(※1)によるフィクションである。それに対して学問的な研究で明らかになった武蔵の実像をまず紹介する。そして武蔵の思想を『五輪書』の5巻の内容に即して論じる。

(※1) 豊田景英著『二天記』(1776年)。二天は宮本武蔵の号で、その伝記の体裁をとる。巌流島の決闘を詳しく書くが、その叙述を分析すると、それまでの伝承・逸話の名場面を取り入れ、書き換えたフィクションと断定される。

戦国末期から江戸初期に生きた武士

宮本武蔵は、若い時に剣術論を著し、それを2度作り変えて最晩年に『五輪書』を著した。大名に宛てた自筆の書状2通と、彼が描いたことが確かな十数点の水墨画、自作の木刀や刀の鍔(つば)などが遺(のこ)っている。養子や弟子が記した資料や彼が関係した諸藩の史料もあるので、それらを総合した研究によって、武蔵の生涯はほぼ明らかになっている。

武蔵は1582年に生まれ、1645年に没した。日本各地で合戦が続いた後、全国統一される時代に生まれ、江戸幕府が確立する時代に没した。その人生は4つの時期に分けられる。それは、日本社会の急激な変動とも連動しているので、時代と合わせて示すと以下のようになる。

I.20歳までの修練期。日本社会が統一されて近世的な秩序が形成される時代。

II.21歳で上京後、29歳までの武者修行期。関が原合戦後、徳川幕府が誕生したが、前政権の勢力との間で不穏な時代。

III.30歳から59歳まで、大名の客分で兵法の道理を追求した時期。この時期に養子の伊織は藩の家老になる。大坂の陣で合戦が終結して、幕藩体制が確立する時代。

IV.60歳以後、最晩年に人生を総括し『五輪書』を書いた。合戦を知らない若い将軍や大名に世代交代した時代。

1/3ページ

最終更新:6/14(金) 15:02
nippon.com

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事

Yahoo!ニュースからのお知らせ