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イタリアで見つけた「歩くダ・ヴィンチ像」 再現役者の奇妙な日常

6/16(日) 16:32配信

ナショナル ジオグラフィック日本版

 古いものと新しいものが混在するイタリアの古都フィレンツェ。数百年前の石畳の通りを電気自動車が走り抜け、この街で一番古いヴェッキオ橋では、陶磁器を売る屋台の横で売り子がスマートホンでメールを打つ。

ギャラリー:歩くダ・ヴィンチ像、再現役者の奇妙な日常 写真6点

 だがそのフィレンツェでも、突然目の前でレオナルド・ダ・ヴィンチの像がスマホを確認したり、モナ・リザが額縁から乗り出してリンゴジュースを飲み出したりすれば、誰でもギョッとするだろう。

 その正体は、ルネサンスの再現役者バルテー・コンティさん(58歳)と、その娘のエレナ・ピノリさん(47歳)だ。2人は、イタリアが誇る偉大な画家と、その最も有名な絵のモデルに扮装して、フィレンツェの街角に立っている。

 いわゆる「彫像芸」、2人はスタチュー・パフォーマーだ。コンティさんは、週に3日以上、レオナルド像になりきる。そのため、2時間かけて準備する。フィレンツェにあるウフィツィ美術館の前に立つ銅像をモデルにして、白いローブにベレー帽を着け、まぶたや唇まで分厚くおしろいを塗る。肩にかかる髪と波打つ髭は綿で作られ、アクリル絵の具で白く色づけした。ちなみに、親子なのに、年の差わずか11歳なのは直接的な血のつながりがないからだ。ピノリさんは、コンティさんの結婚相手の連れ子だ。

「ラ・ジョコンダ」に扮装するピノリさんも、コンティさんと同じくらいの時間をかける(「ラ・ジョコンダ」は、モナ・リザの別名。イタリア語でフランチェスコ・デル・ジョコンドの妻という意味がある。この女性が、モナ・リザのモデルになったと広く考えられているためだ)。レオナルドの芸術性を再現するには特別な能力と忍耐力がなければならないと、ピノリさんは言う。彼の絵画は、輪郭をぼかしたスフマートと呼ばれる特殊な技法で描かれているが、それによって生み出されるこの世のものとは思えない美しさは、実際の顔で真似ようとしても簡単にできるものではない。

 コンティさんはひとりで仕事をすることが多いが、ピノリさんが加わったほうが面白くなるという。あまりにも本物の銅像らしい2人が一緒にフィレンツェの街角に立つと、ドッキリ効果も倍増する。ある日、コンティさんが姿勢を直そうと体を動かすと、そばにいたフランス人観光客は驚いて後ずさりし、つまずいて転んでしまった。心配して駆け寄ったコンティさんだったが、それが事態を一層悪くした。観光客の女性は、恐ろしさのあまりほとんど口をきくこともできなかったという。「2019年にレオナルドがタイムトリップした? 天才とは聞いていたが、まさかそこまでだったとは」と思ったのだろうか。

 コンティさんとピノリさんの仕事はじっと動かないことだ。相当な持久力が求められる。衣装とメークアップをつけて6~8時間静止したままの姿勢はかなりつらい。夏の暑い日には、息苦しさを覚えることもある。唇には分厚いおしろいが塗られているので話がしにくいし、話せばそのたびに崩れたメークを直さなければならない。ピノリさんは、常にリラックスした状態で、謎の微笑みとさまよう視線を顔に貼り付け、そのほかの感情を決して見せてはならない。「これがとても難しいんです」とピノリさんは話す。

 その甲斐あって、2人は人気だ。ニューヨークや東京など、世界中から訪れた観光客は、2人の姿を見ると足を止めて写真を撮りたがる。するとコンティさんは、衣装の一部になっている本に隠し持っていたチラシを渡す。そこには「絵画とは、見ることはできるが聞くことのできない詩である。そして詩とは、感じることはできるが見ることはできない絵画である」というダ・ヴィンチの言葉と、コンティさん自身の金銭に関する謎めいた持論が書かれている。彼にとって、金銭とは「経済のダ・ヴィンチ・コード」なのだそうだ。

 一方、ピノリさんのモナ・リザは、本物を見ることがかなわない人でも間近で鑑賞できる芸術作品だ。1500年代初期に描かれた本物は、縦77センチ、横53センチのごく小さな絵画で、パリのルーブル美術館で分厚い防弾ガラスの向こう側に厳重に保管されている。もみ合うように絵を鑑賞する観光客は、柵にさえぎられてそれ以上近寄ることはできない。ナショナル ジオグラフィックの写真家のパオロ・ウッズとガブリエル・ガリンベルティは、そのモナ・リザの近くで数時間、写真を撮る許可を得た。もちろん、そばでは警備員が目を光らせている。防弾ガラスに近寄りすぎれば、途端に警報ベルが鳴り、警備員に取り押さえられる。

 訪問者のほとんどは、モナ・リザの微笑みをちらりと目にするだけで、自撮り写真もそこそこに、さっさと離れるよう後ろの客から小突かれる。運よく撮影に成功したあるブラジル人女性は、ローマ法王に会ったようだと感想を漏らした。

 そのモナ・リザに扮するピノリさんは、くすんだ瞳や、ひたいにかかった薄いベールなど、見る人を魅了する細かい部分に気を配っているという。生気のないフィレンツェの美術館や教会を回る観光客は、思いがけず目にした2人の姿に笑顔を見せる。人々が好意的な反応を見せる瞬間が一番うれしいと、ピノリさんは言う。

 どんな仕事にも言えることだが、ルネサンスの再現役者にも落ち込むときはある。道行く人が心無いジョークを浴びせることがあっても、じっと耐えなければならない。また、2人の仕事は人々のおひねり(投げ銭)に頼っているため、収入は安定しない。雨が降れば、観光客もまばらになる。特に、5月は雨が多かった。普段は1日50~150ユーロ(6100~1万8000円)の収入があるというが、時には30ユーロ(3700円)に満たない日もある。

 2019年は、レオナルド・ファンにとっては例外的に良い年になりそうだ。フィレンツェを訪れる観光客はかつてないほど増えている。統計によれば、17年にこの街を訪れた観光客の数は、人口の25倍以上に当たる1000万人だった。レオナルドの没後500年となる2019年、彼が芸術家としてのスタートを切ったフィレンツェは、これまでにない魅力的な旅行先になるだろう。

 コンティさんとピノリさんにとっては望ましい状況だ。ウフィツィ美術館の外でパフォーマンスをする2人の背後には、美術館の2階に新しくオープンしたレオナルド・ルームを宣伝する巨大な広告幕が掲げられている。レオナルドとモナ・リザに扮した再現役者。その後ろにはレオナルドの絵画「東方三博士の礼拝」の巨大な写真。その前をランニングシューズでぶらぶらと歩く観光客。彼らは美術館に足を踏み入れてレオナルドの原画を見るのか見ないのか。なんとも非現実的な光景だ。

 ある土曜日の午後、コンティさんとピノリさんは休憩をとって木の大扉の前に座り、仕事について語り合っていた。2人とも、自分たちはルネサンスの時代にも21世紀の現代にも合わないと話す。コンティさんは、自分は未来の人間だといい、自称ヒッピーのピノリさんは「フラワー・パワー」の時代に生きてみたかったという。

 レオナルドとモナ・リザに扮することは、独特の充足感を与えてくれる。コンティさんは学生時代、音楽を学んでいたが、公共の場で演奏するのは「ワイルドすぎる」と語った。何も言葉を発することなく匿名のままでいられる再現役者のほうが性に合っているという。ピサに住むピノリさんは、モデルや女優の仕事をしたこともある。芸術が好きで、歴史上の人物に扮して彼らの物語を想像することにやりがいを感じるという。「色々な人生を経験し、色々な人間になれる、美しい仕事です」

 ピノリさんもコンティさんも、進化し続けたいと話す。ピノリさんは、モナ・リザ以外にもボッティチェッリの絵画「プリマヴェーラ」に描かれているビーナスや、メソポタミア神話の愛と戦いの女神イシュタルに扮することがある。コンティさんは現在、ガリレオ・ガリレイの衣装を製作中で、来年南半球の一部で見られる皆既日食に合わせて発表する予定だ。

 レオナルドはしばしば、スケッチのなかで未来へ思いを馳せていた。レオナルドの死から数十年後の1564年に誕生したガリレオは、望遠鏡を空へと向けた。現代のコンティさんとピノリさんは、反対に私たちを過去へと誘い、偉大な先人たちの生き生きとした姿を見せてくれるのだ。

文=CLAUDIA KALB/訳=ルーバー荒井ハンナ

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