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会社に身を捧げても、自分を気遣って休んでも、死んだら皆同じ。だったら今どうする?【ブックレビュー】

6/17(月) 11:40配信

FINDERS

「仕事を休みたいと言うこと」と「死」、避けたいのはどっち?

「休」という漢字は、人が木に寄りかかっているというイメージから成り立っているという。木に寄りかかるようにほっと一息つきたいけれども、自分の心、あるいは外部の状況がそれを阻んでしまう。志村和久『頑張りすぎるあなたのための会社を休む練習』(イースト・プレス)は、そうした状況を解消するための方法を模索した一冊だ。

はたらき方改善ナビゲーターとして活動する著者は、自身も過労による病気や上司からのパワハラを受けた経験を持つ。メーカーに勤務する傍ら、社会労務士試験に合格して労働環境を自ら改善し、その後心理面のフォローの重要性を感じて神経言語プログラミングをマスターし、現在は会社員として働きつつNPO法人POSSEで労働問題の解決支援や心のケアにあたっている。そうした道を歩むきっかけとなったのは、働き盛りな30歳の時に、お腹に腫瘍が見つかったことだという。

「会社に理由を説明して休暇届を出し、入院しました。結果的に手術は成功し、運よく腫瘍も良性でした。それでも、その結果を聞くまでの数日間、頭の中は「死」という言葉でいっぱいとなって、他のことは何も考えられませんでした」(P3)

どれだけ頭の中が仕事のことでいっぱいな状態でも、「死」の可能性はその全てをかき消した。死んでしまっては何もかも取り返しがつかない。幸いにも手術に成功した著者は、昔の自分を葬り、「働くこと」と「生きること」の関わりを真剣に見つめ直した。

「休まない方がいい」という思い込みを、「意思」の力で塗り替える

「会社を休みたいけど休めない」という悩みを考える上で、一番やっかいなのは当人の無意識だと著者は断言している。同僚や上司に迷惑をかけたくない、自分がやらなければいけない、休むと評価を下げてしまうのではないかといった責任感に起因する思い込みは根が深い。

「さらにやっかいなのは、このような職場での体験や記憶以外に、両親からの教育、学校教育、テレビや映画、インターネットなどからも似たような状況を見たり聞いたりします。これらについても同様にまるで自分に起こったできごとかのごとく、自分の記憶として脳に蓄積してしまいます」 (P35)

「あるある」というシチュエーションはしばしば文学やドラマ・映画の題材になる。たとえば、朱野帰子の小説『わたし、定時で帰ります。』(新潮社)がテレビドラマ化されているという事実は、無理をしてでもまわりにあわせてしまう日本人の国民性が長らく課題とされつつも、他人の目線や評価を気にして「空気を読む」という慣習が依然として根強く存在していることを示しているだろう。

視聴者は「なぜそうした小説・ドラマが作られるか」という背景を考えれば、登場人物が陥っている境遇を「自分の記憶」としてしまうことを避けられるはずだ。そして、おそらく小説の著者やドラマの製作陣は、「定時で帰れない」状況や悩みを解消したいという思いがあるはずだし、ドラマの撮影現場では、「『わたし、定時で帰ります。』のキャスト・スタッフたちは定時で帰れるか(健全に働けるか)」ということが雑談のネタになっているのではないだろうか。

過去は変えられないが、過去の捉え方は変えられる。今まで無理して働いてことごとく休む機会を逃してきた方でも、変わることができるというのが著者の主張だ。「目の前の仕事は本当に何よりも大切なのか?」という自問自答を求めた上で、著者はこう記している。

「本当に何よりも大切なのですか?」と質問された瞬間、あなたの脳は、目の前の仕事について客観的に考え、本当に大切にしているものが他にあるのではないかと無意識に探しにいったはずです。そして、答えが出た人と、答えが出ずに空白状態になった方がいるかと思います。 (P130-131)

空白状態になった場合、「目の前の仕事が何よりも大切だ」ということに少なからず疑問があるということだ。そうした潜在意識を変えることができるのは、変えようと意気込む「意志」の力よりも、過去の経験で形作られた刷り込みを粘り強く見つめて考え続ける「意思」の力だと著者は説明している。

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最終更新:6/17(月) 11:40
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