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日本ボクシング界初の世界王者を育てた米国人:GHQのカーン博士

6/17(月) 15:02配信

nippon.com

津江 章二

日本初のボクシング世界王者となり、戦後間もない社会の“希望の光”となった白井義男。その才能を発見し育てたのは、競技経験のない一人の米国人科学者だった。

白井義男との運命的な出会い

1945年、大戦に敗れた日本人は元気を失っていた。それでも少しずつ復興に向けて歩み出す。48年夏、東京・銀座の日拳ホールではチャンピオンを夢見て、多くのボクサーがひたすら汗を流していた。しかし、活気あふれる中、24歳の白井義男は軍隊で座骨神経痛を患い、引退を考えていた。

かつて将来を嘱望されてはいたが、体調がままならず、いつもひっそりと練習を積む日々。そんな白井を見続ける初老の外国人がいた。「君のナチュラルタイミングで打つ才能は必ず世界をつかめる。私が面倒を見ようじゃないか」。そう声を掛けた男は連合国軍総司令部(GHQ)に勤務する科学者、アルビン・カーン(米国)。運命的な出会いがボクシング史を塗り替えた。

「打たせずに打つ」ボクシングを追求

カーンは1892年8月29日、米イリノイ州シカゴで生まれた。大学で生物学、栄養学の教授としてキャリアを積み、戦後間もなくGHQの天然資源局に配属された。ボクシング経験は全くなかったが、スポーツにおけるタイミングの重要性を研究していた。そういう意味でカーンは白井に興味を持った。

当時のボクシング界はラッシュ戦法を主流とするピストン堀口の攻撃力が人気を集めていた。カーンは違っていた。「打たせずに打つ。それがスポーツとしてのボクシングだ」。自分が理想とするスタイルを白井なら実現してくれるのではないか。たとえ時代に逆行していると言われても、信念を貫きたかったという。

カーンは通訳を連れて何度もジムを訪れ、あまりの熱心さに白井もコンビを組むことを決めた。まずカーンは白井の腰痛を治すことに取り組んだ。当時の日本は食料が不足していたが、カーンは米軍食堂からホットドッグやハンバーグを運び、時にはステーキをご馳走することも。白井の体力はみるみる回復、腰痛も急速に消えていった。

指導法も徹底していた。ボクシングの基本であるジャブの重要性を説き、毎日のようにそれだけの練習に2時間も費やした。こうして独自のテクニックを教え込み、白井は別人のようによみがえってきた。1949年、カーンは勝負に出た。「今牛若丸」と呼ばれた花田陽一郎から日本フライ級王座を奪い、その勢いでピストン堀口の実弟、堀口宏から同バンタム級タイトルも獲得した。この2階級制覇で白井はかなりの達成感を得ていた。

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最終更新:6/17(月) 15:02
nippon.com

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