ここから本文です

21世紀に書かれた「百年の名著」を読む 第2回 ウンベルト・エーコ『プラハの墓地』

6/17(月) 7:00配信

Book Bang

 世界的な大ベストセラーとなった『薔薇の名前』の著者ウンベルト・エーコは、二〇一六年に八四歳で亡くなった。記号学者としてすでに名を成していた彼が、初めての小説作品として『薔薇の名前』を発表したのは四八歳のときだ。

 エーコを数多く訳してきたイタリア文学者の和田忠彦氏がNHKの「100分de名著」で紹介しているエピソードによれば、知人からは「売れて三〇〇〇部」と言われたそうだ。だがその予想は外れた。のちにショーン・コネリー主演で映画化されたこともあり、『薔薇の名前』はエーコが没するまでに全世界で五〇〇〇万部以上売れたという。

『薔薇の名前』がこれほどまでに広範な読者を獲得し得たのは、中世を舞台にした風変わりなミステリー小説として、あるいは一種のファンタジーものとして読まれたからだろう。だが記号論の高名な学者であり一流の批評家でもあるエーコは、イタリア社会において飛び抜けた知識人である。一般の読者にも気楽に楽しめる作品でありながら、作中に仕掛けられたさまざまな企みに気づける読者(それをエーコは「モデル読者」と呼ぶ)には、さらに奥深い世界を提供してくれる。ウンベルト・エーコとはそんな「小説家」なのだ。

 エーコが残した長編小説はわずか七作しかないが、そのすべては日本語に訳されている。二作目以後を原著の刊行順に挙げると『フーコーの振り子』『前日島』『バウドリーノ』『女王ロアーナ、神秘の炎』『プラハの墓地』『ヌメロ・ゼロ』となる。『バウドリーノ』までが二〇世紀中に書かれた作品で、『女王ロアーナ、神秘の炎』以後が二一世紀になってからの作品だ。

 このなかで圧倒的な知名度と人気をもつ『薔薇の名前』こそがエーコの代表作だとする見方に異論はないが、二一世紀に入ってからの作品にも初期作品に勝るとも劣らない魅力がある。エーコの第六作『プラハの墓地』を今回は取り上げてみたい。

 この作品の刊行は二〇一〇年(日本ではエーコ没後の二〇一六年二月)だが、それにはるかに先立つ一九九三年にエーコがハーヴァード大学で行った「ノートン詩学講義」の最終回は、すでに「虚構のプロトコル」と題されていた(同講義録は岩波文庫から和田忠彦訳『小説の森散策』として刊行されている。なお、プロトコルは「議定書」を意味する)。

 この講義でエーコは次のように述べていた。

 ひとつ背筋が寒くなるような話をご紹介しましょう。それは、(小説からの出典が明示された引用にもとづいていましたから)虚構であることはつねに明らかだったにもかかわらず、不幸にして多くの人々がそれを実話だと受け取ってしまった物語です。

 その「背筋が寒くなるような話」とは、一四世紀初めに壊滅したテンプル騎士団の伝説に始まり、これをひそかに受け継いだとされる薔薇十字団やフリーメイソンといった秘密結社への幻想(いわば陰謀論)を経て、ホロコーストという最悪の帰結に至った「反ユダヤ主義」の歴史だ。反ユダヤ主義が流布するうえで、『シオン賢者の議定書』と呼ばれる偽文書が決定的な役割を演じたことはよく知られている。

『プラハの墓地』は、この偽文書の誕生をめぐる小説である。主人公はシモーネ・シモニーニという美食家の老人だ(やがて明らかになるように、彼の美食嗜好は強い性的抑圧と表裏一体である)。一八九七年三月のある日、この男がパリの路地裏にある自分の部屋で目を覚ます。彼が毎日つけている日記には、ユダヤ人への憎しみの言葉が書きつけられている。

 シモニーニはこの部屋でときおり記憶を失い、気がつくと日記の書き手が別の男―ダッラ・ピッコラという神父とのちにわかる―と入れ替わっていたりする。この小説はシモニーニとピッコラとに分裂した自意識が演じる物語でもある。

 シモーネ・シモニーニの祖父はイタリア独立運動の英雄ガリバルディに仕えたカピタン(船長)・シモニーニ。この祖父を含め、『プラハの墓地』に登場するのは主人公のシモニーニ以外みな実在の人物であり、作中の出来事も現実のヨーロッパ史を背景にしている。

 一八三〇年代のイタリアでがナポリとトリノで起こした革命をシモニーニは青年時代に経験する。ゆえあって秘密警察の手先となったシモニーニはパリに亡命し、お手のものである文書偽造の技を買われて、『シオン賢者の議定書』として流布する偽書の制作に手を染める。それは薄暗いプラハのユダヤ人墓地に集まった、世界征服をめざす秘密結社による(架空の)秘密会議の記録だった。

 この小説には主人公シモニーニの視点による語り(日記)と、分裂した彼の自我とも受けとれるダッラ・ピッコラの視点(日記)、さらに両者を俯瞰する〈語り手〉の視点が混在している。エーコは『薔薇の名前』でも、修道士アドソが晩年に(自分の若い時代を回想しつつ)語った物語を、後世の翻訳や作者自身の語り(であるかのようなもの)で幾重にも囲んだ。『プラハの墓地』もそのような複雑な語りの構造をもっている。

 物語のなかで進行する時間は、はじめは一八三〇年代の回想だが、外枠となる日記の日付(一八九七年三月~九八年一二月)に次第に追いつく。一八九四年にフランスで現実に起きたユダヤ人将校のスパイ疑惑事件、いわゆる「ドレフュス事件」がそのクライマックスとなる。

『プラハの墓地』の物語はこうした時間軸のなか、当時の大衆向け新聞小説(フィユトン)を模した大仰な世界観や語り口で進む。なにしろ視点人物となる主人公シモニーニは、すっかり反ユダヤ主義思想に凝り固まった老人である。エーコは当時の流行作家ウージェーヌ・シューの新聞小説『さまよえるユダヤ人』の語り口をたくみに換骨奪胎し、この波瀾万丈の(ただし血湧き肉躍るというよりは、陰鬱で偏見と短慮に満ちた)物語を作り上げた。この小説にはシュー以外にもデュマやゾラといった当時の小説家が顔を出す。

 ところで、この小説に大量に挟まれている(露骨な反ユダヤ主義的なものを含む)挿絵の大半は、エーコ自身がもつ当時の新聞・雑誌コレクションからの「引用」(カット&ペースト)だそうだ。無知と偏見と自己弁護に満ちたシモニーニの「日記」は現代におけるネット上のブログのようでもあるし、彼のつくる「偽書」はまさに悪意に満ちたフェイクニュースそのものである。『プラハの墓地』の物語は電子メディア(ここでは電信)が本格的に実用化される直前で終わるが、投げかけられている問題の射程はかなり広い。

 もちろんエーコは偽書や陰謀論を単純に批判しているわけではない。人はしばしば偽書や陰謀に魅せられてしまう。シモニーニがどこかエーコ自身を思わせるのも、小説とは煎じ詰めれば「噓」であり、小説家は一種の「偽書」制作者だからだ。

 では「偽書」と「小説」はどこが違うのか? 見る人が見れば偽書とわかるはずの『シオン賢者の議定書』はホロコーストをもたらした。ではどうしたら小説家はそうした破局に向かうのとは違う道を示せるのか―『プラハの墓地』でウンベルト・エーコはこの難題に挑んだのである。

季刊誌kotoba 2019年夏号(https://kotoba.shueisha.co.jp/)より転載

[レビュアー]仲俣暁生(文芸評論家、編集者)
1964年、東京都生まれ。『CITY ROAD』『WIRED日本版』『季刊・本とコンピュータ』などの編集部を経て、現在「本と出版の未来」を考えるウェブサイト『マガジン航』の編集発行人を務める。著書に『再起動せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社)、『極西文学論』(晶文社)など。

kotoba 2019年夏号 掲載

集英社インターナショナル

最終更新:6/17(月) 7:00
Book Bang

記事提供社からのご案内(外部サイト)

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事

Yahoo!ニュースからのお知らせ