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阿波野秀幸&西崎幸広【前編】 切磋琢磨した“トレンディ・ーエース”/プロ野球1980年代の名選手

6/18(火) 16:01配信

週刊ベースボールONLINE

1980年代。巨人戦テレビ中継が歴代最高を叩き出し、ライバルの阪神はフィーバーに沸き、一方のパ・リーグも西武を中心に新たな時代へと突入しつつあった。時代も昭和から平成へ。激動の時代でもあったが、底抜けに明るい時代でもあった。そんな華やかな10年間に活躍した名選手たちを振り返っていく。

「西武に勝たないと優勝はなかった」

 1980年代が始まったときには、まだ主役はセ・リーグ、特に巨人だった。エポックといえる出来事からいっても、長嶋茂雄監督の解任と王貞治の現役引退、原辰徳の入団など、セ・リーグを連覇して2年連続で日本一に輝いたのは広島だったが、話題の中心には常に巨人がいたといえる。

 その巨人から“盟主”の座を奪う勢いを見せ始めたのが西武。テレビ中継の全国ネットは巨人戦が圧倒的だったにもかかわらず、その強さでパ・リーグの存在感を知らしめていく。セ・リーグは主役こそ巨人だったが、王者は次々に変わった。パ・リーグは80年代の10年で西武が6度の優勝。巨人V9時代にあった“巨人に牙をむく”構図は80年代のパ・リーグに受け継がれ、“西武に牙をむく”図式となっていった。

 昭和の終わりも近づいた80年代の後半。テレビの世界では、刑事ドラマ『太陽にほえろ!』が長い歴史に幕を下ろし、その1カ月前から同じ刑事ドラマでも対照的にライトでコメディタッチの『あぶない刑事』がスタートしたのが86年で、『男女7人夏物語』が高視聴率を獲得したのが87年だった。世はバブル景気。純昭和的な価値観が希薄になっていく中で、ドラマの主力も無骨な刑事ドラマではなく、恋愛を描く“トレンディー・ドラマ”へと推移していった。

 プロ野球の世界で、その86年のドラフトでパ・リーグの球団に1位で指名され、87年に入団したのが、日本ハムの西崎幸広と、近鉄の阿波野秀幸。ともに投手で、その甘いマスクから“トレンディー・エース”と呼ばれた2人だ。西崎は右腕で、阿波野は左腕。その違いこそあれ、ストレートにこだわるなど共通点も多く、

「個人的には、どこに勝とうが1勝は1勝だったけど、西武に勝ったら、すごく評価が上がった」(西崎)

「あのころは、西武に勝たないと優勝はなかったからね」(阿波野)

 と、“西武に牙をむく”構図で躍動した。

「実際にローテーション、そこ(西武戦)に当てられましたしね」(西崎)

「中5日が中7日になって西武戦の頭に行くとか、それは意外と自然なものだったので受け入れていたんですけど、中11日でわざわざ西武とか、そういうものときどきあったんです」(阿波野)

 ただ、同じパ・リーグのドラフト1位でも、日本ハムと近鉄のチーム事情が違ったことで、それぞれの出発点も違った。

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最終更新:6/18(火) 16:01
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