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激闘! ヤマハワークスマシン「0W」のすごい歴史

6/18(火) 11:00配信

モーサイ

早わかり・ヤマハワークス500の歴史

エディ・ローソンが15歳の少年だったころ、最初のYZR500、0W20がGPシーンに表れた。それから14年間。時が移り、人が変わるなかで、0W自身も絶え間なく進化してきた。そしてグランプリの歴史のひとコマ、ひとコマを演じ続けながら、0Wは0Wそのものの歴史を形創ってきた。波乱に満ちた歴史、しかし名誉ある、誇り高き歴史を……。

MVの壁に挑む

今でこそ日本製ワークスマシンが表彰台を独占し、当然のようにチャンピオンをさらって行く世界GP500ccクラス。しかし、ヤマハが初めてこのクラスに挑戦したころは、イタリアのMVアグスタが全盛だった。1958年から’74年まで、17年連続チャ ンピオンマシンに輝いたのを含め、合計18回のタイトル、通算139勝という偉大な記録を残している。

日本のメーカーでMVの壁に挑んだのはホンダ4サイクルが最初で、’66年にはメーカータイトルを獲得、牙城の一角を崩している。2サイクルの挑戦はヤマハ以前にスズキTR500、カワサキH1Rが試みており、それぞれ’71年に1勝していた。

そして’73年。すでに250、350で実力をつけていたヤマハが発表したのが初代YZR500、0W20であった。 以後14年間、GPの歴史にその名を刻み続けてきた、開発コード「0Wナンバー」で呼ばれる2サイクル水冷4気筒マシン。その最初の型である。

ちなみに0Wの後につく2ケタの数字は、500以外のロードレーサーやモトクロッサーも含めての通し番号であり、そのために“飛び番”になっている。また、今は「オーダブリュ」と読む人が多いが、もともとは「ゼロダブリュ」だったそうだ。

MVやスズキと激闘を繰り広げた並列4気筒時代

0Wの14年間は、大ざっぱに言って3つの時代に分かれる。

最初はデビューした’73年から’80年までの、並列4気筒の時代。次に’81、’82年の、スクエア4とV4エンジンにトライした時代。そして’83年以降の、V4と極太アルミフレームを熟成した時代だ。

第一の時代は、ライバルMVを下しながら、続くスズキRGの台頭に苦しめられ、並列4気筒の可能性を極限まで追求してそれに対抗した時代とも言える。

0W20のデビューは華々しいものだった。’73年第1戦・フランスGPでサーリネンがいきなり優勝、金谷が3位。第2戦オーストリアではサーリネン、金谷がワンツーを演じる。

ところが第4戦イタリアGPがヤマハを打ちのめした。サーリネンが250クラスで路面のオイルのため転倒、死亡するという事故が起きたのだ。ヤマハはこの年、以後のGPをキャンセル。余りに激しい明暗が前後を分けたデビューの年となった。

’74年、0W20のライダーとしてMVのエース、アゴスチーニを迎えた。そして翌’75年、アゴスチーニは0Wに初の栄冠をもたらすことになるのだ。

モーサイ編集部

最終更新:6/18(火) 11:00
モーサイ

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