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始皇帝はなぜ、中国統一を果たせたのか

6/18(火) 12:07配信

PHP Online 衆知(歴史街道)

中国を初めて統一した始皇帝は、その偉業の一方で、暴君のイメージがつきまとっている。しかし、彼の政治は、世界史を大きく変えるとともに、現代中国と日本を考えるうえで重要な存在なのだ。

渡邉義浩 Watanabe Yoshihiro
早稲田大学理事・教授。昭和37年(1962)、東京都生まれ。筑波大学大学院歴史・人類学研究科博士課程修了。文学博士。三国志学会事務局長。専門は中国古代思想史。著書に『春秋戦国』『魏志倭人伝の謎を解く 三国志から見る邪馬台国』などがある。『始皇帝 中華統一の思想』が近刊予定。

統一以前の中国とは

秦の始皇帝(前259~前210年)というと、今から2000年以上も前の人物であり、日本人にはあまり馴染みがないかもしれません。
しかしその存在は、現代中国だけでなく日本にも、少なからず関係があります。
儒者を穴埋めにし、書物を焼く「焚書坑儒」という言葉があるように、始皇帝は「言論弾圧をした暴君」といったイメージで語られることもありますが、それは後世の創作であり、その業績は現代中国で高く評価されているのです。
中国では古くから、「大一統」といい、「皇帝が支配する中華世界は、統一されなければならない」という考え方があります。
それは現代でも変わることはなく、チベットやウイグルなどの少数民族問題を抱える中国にとって、史上初めて中国全土を統一、つまり「大一統」を実現した始皇帝は、きわめて重要な役割を果たしたことになるのです。
では、そもそも始皇帝が登場する以前の中国は、どのような状態だったのでしょうか。そしてなぜ、始皇帝は中国統一を果たせたのでしょうか。
始皇帝以前の中国を、春秋戦国時代(春秋時代は前770~前403、戦国時代は前403~前221年)といいます。
この時代には、周という王朝がありましたが、春秋時代には中央の権威が衰えるとともに、集権制度が緩み、300くらいの邑制国家が存在していました。
邑制国家とは城壁を持つ都市で、春秋時代はまだ、中央の権威が尊重されました。
ところが戦国時代になると、富国強兵を実現したものが下克上をし、国々が潰しあうようになります。その中で生き残ったのが、7つの大きな国であり(「戦国の七雄」)、始皇帝の秦も、そのひとつだったのです。

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最終更新:6/18(火) 12:07
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