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私の“奇跡の一枚” 連載20 二足のわらじ…歌手・増位山

6/18(火) 13:20配信

ベースボール・マガジン社WEB

 粋なことが好きだった父(元大関増位山大志郎の先代三保ケ関親方)の影響もあって、私は子どものころから歌が大好きだった。小学校のバス旅行時などマイクを独占し、いつかは歌手になりたいと考えていた。

 長い人生には、誰にもエポックメーキングな瞬間があり、それはたいてい鮮やかな一シーンとなって人々の脳裏に刻まれている。
 相撲ファンにも必ず、自分の人生に大きな感動と勇気を与えてくれた飛び切りの「一枚」というものがある――。
 本企画では、写真や絵、書に限らず雑誌の表紙、ポスターに至るまで、各界の幅広い層の方々に、自身の心の支え、転機となった相撲にまつわる奇跡的な「一枚」をご披露いただく。
※月刊『相撲』に連載中の「私の“奇跡の一枚”」を一部編集。平成24年3月号掲載の第2回から、毎週火曜日に公開します。

修業を支えてくれた歌

 中学・高校時代、スポーツとしては水泳を一生懸命やっていたが、部屋の稽古場で時折廻しを着け相撲もよく取っていた。幕下力士とも申し合いもやっていたので、それなりに自信があった。進路を決めるにあたっては、父や母の反対を押し切って相撲の道を選んだ。

 親と子とはいえ、師匠と弟子となった身、関取になるまでは、親方の息子だからこそ、それなりの孤独に耐えなければいけない。修業中の私を癒やしてくれたのはやはり歌だった。

 地方場所では近くの店でレコードを買い、宿舎のプレーヤーとちゃんこ場の片隅の電源を借り、耳を傾け何度も口ずさんだ。まだスピーカーと音源が一緒になったカセットレコーダーが普及していなかった時代。入門したころ(昭和42<1967>年)流行っていたのは、伊東ゆかりさんの『恋のしずく』だったっけ。

 ウォークマンが普及してからはより歌を聞く機会が増えたが、決して歌にうつつを抜かしていたわけではない。あくまでも相撲修業の息抜き、気分転換としてのものだ。あの天下の剣豪宮本武蔵が、余技に絵や書をたしなんだように。いろいろなことがプラスに作用して、私は番付を上げれば上げるほど、花相撲の歌合戦等への出演を依頼されるようになった。相撲人気を盛り上げるのに役立てばと、芸能人歌合戦など、チョンマゲの魅力もあって、出演依頼もどんどん増えていった。

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最終更新:6/18(火) 13:20
ベースボール・マガジン社WEB

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