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映画『旅のおわり世界のはじまり』:前田敦子がウズベキスタンの空の下で見せた女優魂

6/18(火) 16:30配信

nippon.com

渡邊 玲子

海外でも絶大な評価を誇る黒沢清監督が、ウズベキスタンを舞台にこれまでとは一味違う作品を作り上げた。名匠がシルクロードのど真ん中へと連れ出したヒロインは、AKB48を卒業して7年を迎える前田敦子。果てしなく広がる大地や、耳慣れぬ言葉が飛び交う異郷の雑踏で、若い日本の女性が何を見つけ、どう世界へと向き合っていくかを描く、新しい冒険の物語だ。今夏のロカルノ国際映画祭(スイス)に、日本映画として初めてクロージング作品の正式招待を受けた。

かつて「クロサワ映画」といえば、『羅生門』や『生きる』『七人の侍』といった、黒澤明監督が手掛けた作品を意味していたものだが、もはや世界の映画人が口にする「クロサワ」は、「アキラ」ではなく「キヨシ」であることが増えてきた。とはいえ、黒沢清監督の場合、なかなかその作風を一言では言い表しにくい。過去作は既に63タイトルにも上るが、ホラーやサスペンスを得意としながらも、時にSFだったり、夫婦のメロドラマだったりと、手掛けるジャンルが多岐にわたっているからだ。だが、すべての作品に共通する手触りがある。まるで異界を彷徨(さまよ)っているかのような、ただならぬ緊張感と「不穏さ」だ。

そんな黒沢清監督がオリジナルで自ら脚本を書き下ろし、中央アジアのウズベキスタン共和国でのオールロケに挑んだのが、最新作となる『旅のおわり世界のはじまり』である。日本・ウズベキスタン国交樹立25周年と、首都タシケントのナボイ劇場(大戦後のソ連時代、日本人捕虜が建設作業に動員された)完成70周年を記念して企画され、黒沢清監督率いるキャストやスタッフが、まるまる1カ月間現地に滞在して撮影を行った。広大なシルクロードを舞台に描かれるのは、言葉が通じない未知の世界に飛び込み、旅を通じて成長していく一人の女性の物語。

主人公の葉子に扮するのは、かつてアイドルグループの「AKB48」に所属し、センターを務めていた前田敦子だ。アイドルを卒業し、いまや演技派女優として活躍する前田だが、劇中では歌手になることを夢見ながらも、バラエティ番組のリポーターとして、横暴なディレクターに指示されるままに、巨大な湖に棲むといわれる「幻の怪魚」探しに奔走し、寂れた遊園地の片隅に設置された回転式の遊具に乗り込む役柄を、文字通り体当たりで演じている。

黒沢監督が「フレームに写っただけで独特の強さと孤独感を表現できるすごい女優」と絶賛する通り、これまでとは明らかに異なる次元の女優魂を感じさせる瞬間が、何度もスクリーンに立ち上る。劇中では「作り笑い」を一切見せていないことから、一見すると素の状態の前田敦子が映し出されているかのようにも感じられ、不安な心をひた隠しにしながらウズベキスタンの裏路地を彷徨い歩く葉子と、アイドルグループのセンターとして華やかなステージに立っていた少女がクロスする。精一杯虚勢を張った強さの裏に見え隠れする脆(もろ)さや儚(はかな)さに、思わずハッとさせられると同時に、「黒沢ワールド」に生きる一人の女優として、カメラの前で独自の存在感を発する前田敦子の迫力に、ただただ圧倒されてしまうのだ。

特筆すべきは、かつて弾ける笑顔で歌って踊るアイドルだった前田敦子が、劇中で2度にわたって堂々たる歌声を披露していること。しかもその曲とは日本でもお馴染みのシャンソンの名曲『愛の讃歌』であり、エディット・ピアフのフランス語歌詞により近い日本語版。ナボイ劇場では、地元の交響楽団の伴奏に合わせて歌い、さらにクライマックスでは、標高2,443メートルの山の山頂で、狂おしい愛情を情感たっぷりに歌い上げている。AKB卒業から間もなく7年。AKBに在籍した年月(2005~12年)を越える節目を迎えた前田が、異国の地で歌うことを通じて、役者としての新境地を切り開いた瞬間を目の当たりにしているような感動がある。

葉子と行動を共にする番組クルーを演じているのは、加瀬亮、染谷将太、柄本時生という、日本映画界で独特の個性を放つ演技派俳優たち。さらに通訳兼コーディネーターのテムル役として、ウズベキスタンの国民的人気俳優のアディズ・ラジャボフが出演し、日本人キャストよりも長い日本語のセリフを完璧に演じ切っているのも見逃せない。

言葉も通じぬ見知らぬ土地で、庭につながれたヤギを解放するという行為をきっかけに、「世界」と初めて向き合うことになった葉子が、歌うことで自ら殻を突き破り、旅の終わりに人生の新たなステージへと足を踏み入れる。劇中でテムルが口にする「話し合わなければ、知り合うこともできない」という言葉が、静かに胸に響いてくる。

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最終更新:6/18(火) 16:30
nippon.com

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