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川田裕美アナ 下手でも来た球は絶対によけない

6/19(水) 7:47配信

NIKKEI STYLE

『この差って何ですか?』(TBS系)でMCを務めているほか、多くのバラエティ番組にゲスト出演して、親しみやすいキャラクターが人気を集めている川田裕美アナ。2006年から15年3月まで10年間、大阪・読売テレビのアナウンサーとして活躍後、フリーになって拠点を東京に移した。転機のきっかけやアナウンサーとして心がけていることを聞いた。

「フリーになるという決断は、大きなチャレンジでした。小心者ですし、もともとチャレンジ精神が旺盛だったわけではありません。

初めて『何かに挑戦したいな』と考えたのは、アナウンサーを目指したときですね。倍率が高くて雲をつかむように難しいので、家族には反対されました。でも、可能性が0%でないのなら、挑戦しないと、もったいない気がして。

入社1年目から『大阪ほんわかテレビ』という情報バラエティ番組で笑福亭仁鶴師匠や間寛平さん、桂南光師匠をはじめとする関西の重鎮の方々と共演させていただいて、鍛えてもらいました。最初は新人の自分がじゃまをしてはいけないと思い、ほとんどしゃべれないことも。すると局の先輩に『いい球を投げてもらっているのに、見逃している』と言われたんです。下手でもいいから、来た球は絶対によけないのが大事だということを、そこで学びました」

■転機1:『ミヤネ屋』に出演、宮根誠司との出会い

入社6年目の11年から、産休に入った森若佐紀子アナウンサーに代わり、同じように朝日放送の局アナからフリーになった宮根誠司が司会を務める『情報ライブ ミヤネ屋』に司会として抜てき。全国ネットの人気番組に起用されたことで、知名度が上昇した。14年に番組代表として大阪マラソンでフルマラソンに初出場して完走したときには、疲労困憊しながらも現場からリポートする根性を見せて、大きな反響を呼んだ。

「読売テレビに入社したときは、ずっと会社にいると思っていました。外で挑戦してみたいという考えが芽生え始めたのは、退社する1年半くらい前からですね。宮根さんが先を見据えて常に新しいことに挑戦されている方だったので、『ミヤネ屋』で毎日一緒にお仕事をしていて刺激を受けました。

宮根さんに初めて相談したときは、『もうちょっとこの番組で頑張ってみてもいいんじゃない』とやんわり言われたのを覚えています。今考えたら、まだ気持ちが揺れていたのを見抜かれたんだなって。

宮根さんには『フリーになるというのは本当に大変だからね』と何度も言われました。局アナは会社に守られていて、ひとつの失敗をしてしまったとしても、次の番組が用意されてチャンスを与えられるんですよね。だから、タレントさんと同じ番組をやっていても、自分は守られているんだなというのが、ありがたくもあり、少し申し訳ないような気持ちがあって、みなさんと同じ場所に行けていない感覚がありました。

そこからは、今まで通りに目の前の仕事に一生懸命取り組みましたが、1年半経っても挑戦したいという気持ちがなくならなかったので、このまま諦めたら後悔するなと決心しました」

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最終更新:6/19(水) 12:15
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