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80年代では異例の西武黄金時代“育てる助っ人”バークレオとは?/平成助っ人賛歌【プロ野球死亡遊戯】

6/19(水) 11:01配信

週刊ベースボールONLINE

バブリーな日本球界へ

 あのころ、「53億円で落札」がニュースになった。

 1987年(昭和62年)3月30日、安田火災海上がロンドンでのオークションでゴッホの名画「ひまわり」を53億円で落札した(当時の為替換算)。4月末の日本の外貨準備高は696億2000万ドルで世界一に。アサヒビールの「スーパードライ」は春の発売以来830億円もの売上げを記録。バブル景気真っ只中、ニッポンは完全にお祭り騒ぎで浮かれていた。

【画像】NPBで長く活躍した外国人助っ人たち

 プロ野球は社会を映す鏡だ。当然その好景気は球界にも波及する。87年オフ、ロッテはメジャー通算2008安打、首位打者4回の実績を持つ37歳のビル・マドロックを年俸1億3650万円で獲得。ヤクルトはメジャー通算237本塁打で37歳のダグ・デシンセイを年俸1億9000万円で連れて来た(ちなみに日本人選手最高年俸は中日・落合博満の1億3000万円)。いわば当時のベテラン大リーガーにとって、好景気の日本はキャリアの最後に一稼ぎするには絶好の舞台だったわけだ。

 87年6月25日、そんなバブリーなNPBに、ひとりのハングリーな若者がやってくる。195センチの長身に金髪の甘いマスク。まだ24歳、年俸わずか700万円、メジャー経験なし。タイラー・リー・バンバークレオである(登録名はバークレオ)。若き四番バッター・清原和博や“大リーグに最も近い男”秋山幸二を擁す、西武ライオンズが郭泰源、ブコビッチに次ぐ第三の外国人として目をつけた無名の選手。

 マイナー・リーグのチームを転々とする野球人生を送っていた男は、プロ5年目の86年に1Aのパームスプリングスで打率.268、22本塁打、108打点を記録。荒削りながらその長打力とリーグ最多の勝利打点19の勝負強さが、偶然にもカリフォルニア・リーグのサンノゼ・ビーズに秋山や大久保博元ら若手選手を野球留学させていた西武の関係者の目にとまる。1試合平均観客数670人のマイナー・リーグでプレーするバークレオは、翌87年春にようやくエンゼルス傘下の2Aミッドランドに昇格も、野球人生の一発逆転を狙って日本行きを決断する。当時の西武には球界屈指のスカウト網と巨人をも上回る豊富な資金力があった。

 負けん気の強い堤義明オーナーは、同時期にヤクルトで大フィーバーを巻き起こしていた年俸3億円の現役バリバリ大リーガーのボブ・ホーナーを意識して、「大金選手を連れてくる時代は終わり。安くて若い外国人をたくさん呼んで、その中から育てる時代だ。バークレオはその第1弾です」と発言。いわば、今より登録枠が少なく外国人選手には即戦力が求められた当時では異例の“育てる助っ人選手”としての獲得。まさに黄金時代へ突入しようとしていた戦力充実期のチームだからこそ実現できた年俸700万円助っ人の獲得である。

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最終更新:6/19(水) 12:33
週刊ベースボールONLINE

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