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阿波野秀幸&西崎幸広【後編】 リードした阿波野を追いかけた西崎/プロ野球1980年代の名選手

6/19(水) 16:01配信

週刊ベースボールONLINE

1980年代。巨人戦テレビ中継が歴代最高を叩き出し、ライバルの阪神はフィーバーに沸き、一方のパ・リーグも西武を中心に新たな時代へと突入しつつあった。時代も昭和から平成へ。激動の時代でもあったが、底抜けに明るい時代でもあった。そんな華やかな10年間に活躍した名選手たちを振り返っていく。

「ジュニア・オールスターが力になった」

 ドラフト1位で1987年に日本ハムへ入団した右腕の西崎幸広と、同じくドラフト1位で近鉄へ入団した左腕の阿波野秀幸。ともに新人王を争い、ストレートへのこだわりと甘いマスクを兼ね備える“トレンディー・エース”だったが、それぞれのチーム事情もあって、常にリードしていたのは阿波野だった。

 開幕から1完封を含む3連続完投勝利で4月の月間MVP。5月には3連敗と足踏みしたものの、一方の西崎は、まだ先発ローテーションにさえ定着できずにいた。阿波野は6月17日の阪急戦(西宮)から3試合連続完投勝利と復調。前半戦を終えた時点で阿波野が9勝、西崎が4勝と、新人王レースは阿波野が独走するかのようにも見えた。だが、西崎も7月2日の南海戦(後楽園)から2試合連続完投勝利。巻き返しが始まっていた。

「ジュニア・オールスターでの最優秀投手賞が、後半戦への力になった」(西崎)

 と、8月2日の西武戦(札幌円山)でのプロ初完封を皮切りに、破竹の10連勝。一方の阿波野は後半戦に入ると4連敗など失速した。それでも9月16日の阪急戦(西宮)から2完封を含む5連続完投勝利と、ふたたび復調する。最終的には阿波野が最下位の近鉄でリーグ最多の249イニング2/3を投げて32試合で22完投3完封、15勝12敗、リーグ最多の201奪三振にリーグ4位の防御率2.88。西崎は3位の日本ハムで221イニング1/3を投げて30試合で16完投4完封、15勝7敗、176奪三振にリーグ5位の防御率2.89。ほぼ互角といえる結果となる。そして、新人王レースは阿波野に軍配が上がったが、西崎にも「新人王と同等の活躍をした」とパ・リーグ会長特別賞が贈られた。

 翌88年は西崎がリーグ最多の21完投、15勝でキャリア唯一の最多勝。一方の阿波野は14勝でタイトルを逃しただけでなく、あと一歩で優勝を逃す悔しさを味わう。舞台は川崎球場、ロッテとの最終戦ダブルヘッダー“10.19”だ。

 17日の阪急戦(西宮)で128球の2失点完投も、打線の援護に恵まれず敗戦投手となった阿波野が、第1試合、1点リードの9回裏無死一塁からマウンドへ。引き分けでも優勝が消える場面で、二塁打と死球で二死満塁のピンチを迎えるも、森田芳彦を空振り三振に斬って取ってガッツポーズ。第2試合も1点リードの8回裏から登板したが、すでに体力は残っていなかった。サインに首を振って投じたウイニングショットのスクリューを高沢秀昭に左翼席へ運ばれ、同点にされてしまう。俊足の高沢への四球を警戒してのものだったが、そのまま延長10回、時間切れ引き分け。80年代に限らず、球史に輝く名勝負が終わった。

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最終更新:6/19(水) 16:46
週刊ベースボールONLINE

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