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八雲と松江の絆:小泉八雲記念館とヘルン旧居を訪ねて

6/19(水) 15:32配信

nippon.com

小泉八雲が日本で最初に暮らした土地、島根県松江市。短期間の滞在ながら、町にはゆかりの場所や品が数多く残っている。小泉八雲記念館と旧居を訪ね、創作活動にも大きな影響を与えた、松江との深いつながりを聞いた。

日本文化の深みにはまった町

松江の町を散策すると、「へるんの小径(こみち)」「松江ビアへるん(クラフトビール)」、「カラコロ工房」「カラコロ広場」といった一風変わった名前をよく目にする。

そのかわいらしい響きの「へるん」「カラコロ」は、一時期松江で暮らした文学者ラフカディオ・ハーン、小泉八雲(1850-1904)にちなむ言葉だ。代表作『怪談』などを通じ、日本の文化や風俗、精神世界を流麗な英文で国内外に広めた人物である。

八雲が英語教師として、島根県尋常中学に1890(明治23)年に赴任した際、名前のつづり「Hearn(ハーン)」を「ヘルン」と読まれたという。それ以来、生徒たちから「ヘルン先生」と呼ばれ、日本での愛称となった。本人も気に入っていたようで、妻のセツも八雲のつたない日本語を「ヘルン言葉」と呼んでいたそうだ。

「カラコロ」は、当時まだ木造だった松江大橋を下駄(げた)履きの人々が渡る音。八雲は『知られぬ日本の面影』の中で、松江に到着した翌朝に聞いた「大橋の下駄の音」を「忘れられない音」と描写している。彼も魅了された音色ということで、観光スポットの名称などに「カラコロ」が冠されるのだ。

神社仏閣を訪れれば八雲とのゆかりを記した案内板があり、至るところで八雲、ヘルンに出会う。しかし、八雲が松江で暮らしたのは、ごく短期間だった。この土地の人々に、なぜこれほどまでに親しまれているのだろうか。

「ハーンが松江で暮らしたのは、正確には1年2カ月と15日。日本で最初に定住した土地ですが、一番短い途中下車といえます。しかし、松江士族の娘・小泉セツと結婚し、日本文化の深みにはまっていった場所なのです。松江のゴーストリー(霊的)な環境に刺激を受け、豊かな自然に魅せられたのでしょう。過ごした時間は短くとも、精神的なつながりはとても深い土地だったのです」

そう語ってくれたのは、「小泉八雲記念館」の小泉凡(ぼん)館長。ハーンのひ孫である。

ニューオーリンズ万博で日本文化と巡り合い、ニューヨークで英訳の『古事記』を読んで来日を決意したという八雲。日本神話に特に興味を持っていた彼にとって、出雲神話の舞台である松江での生活は願ってもないことだったという。しかし、山陰地方の冬の寒さには耐えきれず、暖かい熊本へと向かう。その後、神戸を経由して東京に移り住んで生涯を終えたのだ。

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最終更新:6/19(水) 15:32
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