ここから本文です

宝塚記念で思い出すメジロライアン。 戦法転換でついに無冠を返上した

6/19(水) 5:57配信

webスポルティーバ

スタートして、最初のコーナーを回って、馬の並びが落ち着き始めた頃、ファンの多くは「なんか違う......」と思い始めていた。

【写真】英国伝統のレースに挑むディアドラ

 1991年6月9日、阪神競馬場の全面改築工事によって、この年は京都競馬場で行なわれたGI宝塚記念(芝2200m)。10頭立てで、単勝1倍台の支持を集めたメジロマックイーンが単枠指定されたレースだった。

 メジロマックイーンとは差があったものの、2番人気も同じ「メジロ」のメジロライアン。メジロ勢が上位人気を独占したことから、この時のレースは「メジロ記念」とも言われた。

 ファンが感じた「なんか違う」の原因を作ったのは、2番人気のメジロライアンのほうだった。

 ここまでに両馬はGIで2度対戦し、勝ったのはいずれもメジロマックイーン。そして、そのときの位置取りは、どちらもメジロマックイーンが先行して、メジロライアンが後方から追い込む、というものだった。

 ところが、この時は、追い込むはずのメジロライアンが逃げ・先行勢に次ぐ2~3番手を追走し、直後にメジロマックイーンが続いていた。つまり、いつもと位置取りが逆だったのだ。

 もともとメジロライアンは、豪快な末脚を武器としていた。新馬、未勝利の頃を除けば、ずっと後方一気の追い込み策をとって結果を出し、一流馬にのし上がっている。

 このときの先行策は、その"プロフィール"とは明らかに違う。ゆえに、多くのファンがある種の違和感を覚えたのだ。

 しかし、この先行策こそ、それまでにメジロライアンが抱えてきた鬱憤も、無念も、一気に晴らす起死回生の一手だった――。

 メジロライアンは、早くから「大器」と言われ続けていた。1990年のGI日本ダービー(東京・芝2400m)では、1番人気に支持されている。

 だが、このダービーも、その前のGI皐月賞(中山・芝2000m)も、善戦したものの、勝ち切れなかった。ともに強烈な追い込みを見せるが、皐月賞は3着、ダービーは2着と一歩及ばなかった。

 三冠最後の菊花賞(京都・芝3000m)では、皐月賞馬、ダービー馬も故障で不在。「今度こそ」と願ったファンの期待は大きく、単勝は2.2倍。ダービーに続いて1番人気に支持された。

1/4ページ

最終更新:6/19(水) 5:57
webスポルティーバ

記事提供社からのご案内(外部サイト)

Sportiva

集英社

スポルティーバ
4月4日(木)発売

定価 本体1,800円+税

フィギュア特集『羽生結弦は超えていく』
■羽生結弦 世界選手権レポート
■羽生結弦 グランプリシリーズプレーバック
■宇野昌磨、髙橋大輔、紀平梨花、坂本花織ほか

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事