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「カープの四番」の重みを誰よりも知っていた山本浩二さん/新井貴浩コラム

6/20(木) 11:05配信

週刊ベースボールONLINE

涙が止まらない

 前回は、私が最初に四番を打たせてもらった2003年の“挫折”について書きました。山本浩二さんにとっては、2期目の監督3年目です。金本知憲さんがFAで阪神に移籍した後、外国人選手を代わりの四番に入れるのではなく、長期的視野に立ち、私を育てていく方針だったと思います。

【画像】広島・新井貴浩、感謝の一打

 結果的には、完全に期待を裏切ってしまいました。四番やエースは、自分の成績だけではありません。チームが勝てば人一倍うれしいものですし、負けたら苦しみも人一倍です。それが最初は分からなかった。

 でも、ここ一番で打てないことが続き、次第に気持ちが弱くなって、チャンスで打席を迎えても「俺が決めてやる!」ではなく、「また打てなかったどうしよう……」になっていました。チームが勝っていればまだ救われたのですが、低迷が続き、精神的にも、どんどん追い詰められていきました。

「四番から外してください」と自分から言いたくなるくらい落ち込み、打席では失敗を恐れ、結果ばかり気になる。あれこれ考え、夜も眠れないときがありました。こんな精神状態では打てるはずがありません。

 成績的にも、精神的にもどん底にあった、その年の7月12日、中日戦の前です。浩二さんに監督室に呼ばれました。怒られるのかと思ったのですが、優しい声で、

「どうや、新井、苦しいか」

 と言ってくれました。それに「はい」と答えた瞬間、私は涙が止まらなくなりました。

 浩二さんは、

「ワシもお前の気持ちは分かる。ワシもそういう経験をしてきたからよく分かる。特にホームゲームの試合が苦しいだろう」

 と言ってくれました。

 たぶん、普通の監督さんだったら「甘えるな」と言って終わりだったかもしれません。でも、浩二さんは「カープの四番」の重みを誰よりもよく知っていた。敵の罵声は活力にもできるのですが、味方ファンのヤジは本当に堪えます。

 カープ黄金時代の時期は、子どものころの僕がそうだったように、みんな勝って当たり前、「四番・山本浩二」は打って当たり前と思って見ていました。僕よりずっと大きな重圧の中で長い間やってこられた方です。私の苦しさなど、浩二さんの何百分の1かだとは思います。

 その後、「四番を少し外すからな」と言われ、情けないのですが、正直、ほっとしました。

 もちろん、悔しさや、もう一度四番に、という気持ちはあったんですが、とりあえず、肩の荷が下りたように感じたのも事実です。(続く)

PROFILE
あらい・たかひろ●1977年1月30日生まれ。広島県出身。広島工高から駒大を経て99年ドラフト6位で広島入団。4年目の2002年に全140試合に出場し、05年は43本塁打で本塁打王のタイトルを獲得。07年オフ、FA権を行使して阪神に移籍した。11年には打点王になるなど活躍するも、14年は出場機会が減少し、オフに自ら申し出る形で自由契約に。15年に8年ぶりに古巣・広島に復帰。16年には四番打者として25年ぶりのリーグ優勝をけん引し、リーグMVPに輝く。17年途中からは代打が多くなったが勝負強さは健在で、球団史上初のリーグ3連覇に貢献した。18年限りで現役を引退。通算成績は2383試合、2203安打、319本塁打、1303打点、43盗塁、打率.278。

週刊ベースボール

最終更新:6/24(月) 11:25
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