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渡辺智男 “江川2世”と称され威力ある快速球を持った右腕/プロ野球1980年代の名選手

6/20(木) 16:01配信

週刊ベースボールONLINE

1980年代。巨人戦テレビ中継が歴代最高を叩き出し、ライバルの阪神はフィーバーに沸き、一方のパ・リーグも西武を中心に新たな時代へと突入しつつあった。時代も昭和から平成へ。激動の時代でもあったが、底抜けに明るい時代でもあった。そんな華やかな10年間に活躍した名選手たちを振り返っていく。

89年に颯爽と登場したドライチ右腕

 ドラフト1位で入団したからといって、活躍できるとは限らないのがプロ野球。注目されるだけ注目されて、その重圧に押しつぶされてしまう選手や、プロ入り前に全盛期を終えてしまったかのように、アマチュア時代の精彩を一気に失う選手など、花を咲かせることができなかったケースは少なくない。

 この点、1980年代の西武は、秋山幸二や伊東勤らのケースのような“寝技”もさることながら、ドラフトでの新戦力の獲得に関しても、その手腕は群を抜いていたといえる。一過性の強さに終わらずに黄金期を築いた秘訣は無数にありそうだが、このあたりもまた、その強さの秘訣だったのだろう。

 80年代の最後、89年に入団した“ドライチ”が渡辺智男だった。ちなみに、パ・リーグの新人王に輝いたのはオリックスのドラフト1位でもある酒井勉だったが、“同期”のドラフト1位は豪華な顔ぶれで、特にセ・リーグはヤクルトが川崎憲次郎、大洋が谷繁元信、広島が野村謙二郎、中日は今中慎二の獲得に成功し、いずれも来る90年代の優勝に貢献する中心選手に成長している。ただ、このときの西武は“密約説”がささやかれるなど、ドラフトを騒然とさせた。プロ拒否宣言をした右腕を強行指名したからだ。だが、そんな宣言をしたのは故障があったため。ソウル五輪を控えた世界選手権でスライダーを多投して右ヒジを痛めていたのだ。

 ヒジ痛との付き合いは中学のときからで、一度は野球を断念したこともある。さらに、伊野商高では腰を痛めた。

「実家がイチゴなんかを作っているんですが、座ってする仕事だから、(腰を痛めていたことで)親の手伝いもできなかったですよ」

 と笑って振り返る。それでも、3年でエースとして85年のセンバツに出場して、のちにチームメートとなる清原和博を抑え込む。

「1回は勝って帰ろう、って感じでしたから、1回戦は緊張しましたけど、清原とやった準決勝では、負けても胸を張って高知に帰れるな、ってなもんでした」

 このときのことを、のちに清原は「どんどんスピードが上がっていく。上には上がいると、あのとき初めて思った。力で抑え込まれたのは、最初で最後かもしれない」と振り返っている。清原との4打席は1四球、3三振。PL学園高を下すと、決勝でも帝京高を破って優勝投手に。社会人のNTT四国でも3年連続で都市対抗に出場している。そして、西武への入団を前に右ヒジを手術。一軍に合流したのは5月下旬、黄金時代の西武がBクラスをウロウロする苦しい時期に、黒星が先行したが、夏場からは真価を発揮していく。

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最終更新:6/20(木) 16:38
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