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【柔道】日本柔道オリンピック金メダリスト列伝(第10回)阿武教子

6/20(木) 16:46配信

ベースボール・マガジン社WEB

柔道が初めてオリンピックの正式競技となった1964年東京大会から2016年のリオ大会まで、“柔道王国”日本は史上最多のメダルを獲得してきた。そして、その長い歴史の中で燦然と輝くのは卓越した技量で他を圧倒し、表彰台の頂点を極めた金メダリストたちだ。ここでは、各階級のレジェンドからリオ大会の大野将平、ベイカー茉秋、田知本遥まで、『日本柔道オリンピック金メダリスト列伝』として1人ずつ紹介。今回は、2004年アテネ大会78kg級・阿武教子をクローズアップする。(※文中敬称略)

【柔道】日本柔道オリンピック金メダリスト列伝(第9回)井上康生

2004年アテネ五輪78kg級 阿武教子

◆小さな体で精一杯の戦い。
最後の最後で贈られた大きなご褒美
 阿武教子は97年から03年まで、世界選手権では4回優勝した。その間、五輪には96年のアトランタと00年のシドニーに出場したが、2大会とも初戦敗退だった。「世界チャンピオンが負けたらどうしよう」という、勝負師としてはナイーブな性格が勝利を阻んでいた。

 しかし、五輪3回目の出場となったアテネで悲願の金メダル。日本では塚田真希と共に2人しかいない3冠(五輪・世界選手権・皇后盃)女子柔道家の1人になった。あすなろの木は三度目にしてようやく檜になったのだ。

 この頃には過去の負けた試合の映像を通して、「なんて無様なんだろう。腹が立った」と客観的に自分を見つめ直すことができるようになっていた阿武。これが金メダル獲得の最大の要因になった。すなわち、心に余裕が生まれていたわけだ。「オリンピックに2回出て2回とも初戦負けなんて、おかしいでしょう」などと言ったこともある。

 本番では得意の、体をドンと相手に打ちつける大内刈りや袖釣り込み腰でポイントを奪い、全4戦、危なげなく勝って頂点に立った。8年かけての大願成就――。右釣り手の操作も抜群だった。

 若い頃の阿武は適正階級がなく、非常に苦労した。通常体重は78kgくらいだったが、72kgに減量して世界選手権で優勝したこともある(97年パリ大会)。99年のバーミンガム大会までは、世界選手権の72kg超級の上は無差別。阿武は超級の選手として常に、120、130kgという無差別にも出る大きくて重い相手と戦っていたわけだ。

 五輪初出場のアトランタは、最重量級が72kg超級で初戦負け。2回目の出場のシドニー五輪でようやく78kg級という適正階級になったが、89年ベオグラード世界選手権金メダリストのピエラントッツィ(イタリア)に「指導1」で敗れた。

 そして、3回目がアテネ。すでに28歳と次が望める年齢ではなかったが、前2大会に比べると精神面でのゆとりも手伝って、決勝では劉霞(中国)から袖釣り込み腰で「一本」を取り、金メダリストになった。小さな体で精一杯の戦いを演じてきた彼女に、勝利の女神は最後の最後で大きなご褒美を贈った。

Profile あんの・のりこ 現姓・園田。1976年5月23日生まれ、山口県阿武郡福栄村出身。柳川高-明治大。93~96、99年全日本女子選手権優勝、97、99、01、03年世界選手権優勝、04年アテネ五輪優勝。
文◎木村秀和

近代柔道編集部

最終更新:6/20(木) 16:46
ベースボール・マガジン社WEB

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