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岡田有希子自死から33年、今も墓前にファンからの花束

6/20(木) 6:00配信

デイリー新潮

 50人以上の少年少女が、自ら命を絶った。1986年(昭和61年)4月に飛び降り自殺をした岡田有希子の後を追ったのだ。18歳のアイドルの自死は、社会問題にまで発展した。月日は流れ、元号が二つ変わっても、命日になるとファンが花を捧げに来るという。

【画像】会見で記者に囲まれる峰岸徹さん

 岡田が所属先のサンミュージック本社の屋上から身を投げたのは、86年4月8日昼頃のことだった。

 サンミュージック名誉顧問の福田時雄氏が、当時を振り返る。

「あの日、屋上にはスリッパが綺麗に揃えられていました。病院から有希子がそのまま履いてきたものです。守ってやれなかった後悔と共に、その光景は今でも鮮明に覚えています」

 自死当日の午前10時頃、岡田は南青山の自宅マンションでガスの元栓を捻って手首を切り、近隣の病院に搬送された。病院に駆けつけた福田氏は、彼女を事務所に連れて帰る。故・相沢秀禎会長の電話に出るため、福田氏が席を外した一瞬の隙に、彼女は屋上へ向かい、投身自殺を遂げたのである。

 岡田の部屋には、便箋2枚の遺書が残されていた。そこには、24歳年上の俳優・峰岸徹への思いが綴られていたといわれる。メディアは彼を追いかけ回したが、峰岸は岡田との男女関係を否定したまま、2008年に帰らぬ人となった。

 福田氏の述懐は続く。

「遺書はご遺族にお渡ししたはずです。事務所でそれを見たのは相沢会長とマネージャーだけ。2人とも亡くなり、もうウチには遺書を見た者はいません」

 岡田の死の理由は、

「彼女が峰岸に恋心を抱いていたのは確かです。でもそれは一方的なもの。ガス栓を捻ったのは、彼の気を引くためだったと思います。ただ、飛び降りは、周囲に迷惑をかけたという自責の念によるものだと思っています」

墓前に花束

 それから33年が過ぎた。

「今も命日には、ファンが事務所の前に花束を置いてくれます。30分のラジオ番組をやっているファンの方もいますよ」(福田氏)

 そのラジオ番組は、「ドットーレ山口のドキドキラジオ’84」で、東海ラジオにて毎週土曜、午前1時から放送されている。自らパーソナリティーを務める山口悟医師に話を聞くと、

「この番組は、16年、没後30年の節目に始めました。岡田有希子だけを扱う番組を作りましょうと東海ラジオに提案したのです。私の病院がスポンサーになり、実現できました。彼女は名古屋の出身で、東海ラジオに番組を持っていたので、その音源も流せます」

 ファンミーティングも開催しているという。

「彼女の誕生日にファンで集まろうと、毎年企画しています。昨年は定員の5倍近い約千名もの応募があり、驚きました」

 令和の時代も続くファンの活動を、そして彼女の死を、今家族はどう受け止めているのか。名古屋にある岡田の生家を訪ねると、父親が、

「三十数年間、取材は一切受けていませんので……」

 と言うのみだった。

 先の福田氏によれば、

「命日が来ると、事務所前に置かれた花束を集めて愛知まで運んでくれるファンの方がいます。有希子の墓前に供えるのです」

 儚く短い生涯だったが、彼女はファンの心に永遠に残るアイドルとなった。

「週刊新潮」2019年6月20日号 掲載

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最終更新:6/20(木) 12:35
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