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平成とジャズ:イタリアンジャズ 後編

6/21(金) 8:10配信

otocoto

UKに影響されたイタリアのDJたちがヨーロッパの過去のジャズを発見し、再評価し、そこからの影響を反映した音楽を制作していったストーリーは前編で語りました。ここからはさらに過熱したイタリアンジャズブームの最盛期を解説していきます。

イタリアのジャズを世界に知らしめたニコラ・コンテとジェラルド・フリジーナが運営するレーベルのSchemaはイタリアンジャズだけでなく様々な音楽を取り扱っていたレーベルでもあった。それはニコラ・コンテやジェラルド・フリジーナの作品にもそのまま反映されていた。

ニコラ・コンテは2000年に自身のアルバム『Jet Sounds』をリリースする。アシッドジャズ育ちらしくUnited Future Organization的なジャズの生演奏をサンプリングして作り出したようなジャジーなダンスミュージックで、その中にはクラーク=ボラン・ビッグバンドやサヒブ・シハブの雰囲気を意識しているのがわかりやすく伝わり、Rewardでの過去作の再発と地続きなのも聴こえていた。ジェラルド・フリジーナは2001年に『Ad Lib』を発表。こちらもニコラ・コンテと同じように生音サンプリングによるジャズ風味のダンスミュージックだった。

これらのSchemaの作品にはヨーロッパジャズ以外にもいくつか文脈がある。ひとつはブラジルやキューバのリズム。Schemaはジャズだけでなく、ブラジル音楽にも力を入れていた。その理由を考えると、そのひとつはUKに辿り着く。もともと80年代のジャズで踊るムーブメントではアフロキューバンジャズと呼ばれるキューバのリズムを取り入れたジャズが人気だったし、キューバ音楽を演奏するスノウボーイのようなミュージシャンもアシッドジャズのシーンにはいた。そして、DJたちは踊れるレコードを求めて掘り進めていく中でブラジル音楽を発見し、90年代以降、UKのDJ発信でブラジル音楽が大きなトレンドになった。UKのFar Outレーベルがジョイスやアジムス、マルコス・ヴァ―リなどを再発し、Da Lataのようなブラジル音楽をベースにしたダンスミュージックを作るユニットが出てきたり、ジャイルス・ピーターソンがアシッドジャズの本山レーベルTalkin’loudからリリースしたDJ向けのコンピレーション『Brazilica!』などがそれを象徴している。そして、それらのブラジル音楽はアシッドジャズやクラブジャズへも影響を与え、密接に繋がっていき、DJが再評価したブラジルのレコードがどんどん再発されていく。

イタリアではIRMAレーベルが1995年にアシッドジャズ的な感覚にブラジル音楽の要素を強く反映させたユニットのボッサ・ノストラのデビュー作『Solaria』をリリースしていたり、イタリアのクラブシーンはブラジル音楽へ早くコミットしていた。恐らくそれには理由があり、もともとイタリアにはボサノバやサンバがそれなりに浸透していたからだ。ジョアン・ジルベルトでお馴染みのボサノバの名曲「Estate」はブルーノ・マルティーノ、ミーナ、ミア・マルティーニ、オルネラ・ヴァノーニら超有名歌手が歌いヒットした定番曲だったり、映画音楽でもアルマンド・トロヴァヨーリ、ピエロ・ピッチオーニ、エンニオ・モリコーネ、ピエロ・ウルミアーニといった名作曲家たちがこぞってボサノバ曲を書いている。2010年代でもニコラ・コンテもジェラルド・フリジーナも、さらに言えばIRMAレーベルもイタリアの映画音楽からの影響は公言していて、そういった背景を考えると、ブラジル音楽への傾倒はイタリアのお国柄とも言えるのかもしれない。

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最終更新:6/21(金) 8:10
otocoto

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