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国旗が象徴するもの 悲劇の島アイルランド その3

6/21(金) 18:05配信

Japan In-depth

【まとめ】

・「アイルランド革命・遠征」「カトリック処罰法」によりアイルランドは悲劇的な歴史を経験。
・アメリが独立戦争、フランス革命を契機にアイルランドの状況は変化。
・アイルランド独立運動はインドの独立派にも大きな影響を与えた。

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このことは同時に、支配が完成を見たと言うのは、幾多の惨劇の末だったということを意味する。1641年の「アイルランド革命」と称される大規模な反乱は、一度はアイルランドの支配権をカトリックの手に戻したが、イングランドにおいて清教徒革命を主導したオリバー・クロムウェルが悪名高い「アイルランド遠征」を実施する。

反乱に対する報復として、女子供までが犠牲になる虐殺事件が複数回引き起こされ、犠牲者の数は万単位になるとされるほどだ。

後にこの「歴史問題」は、ナチス・ドイツとの戦争=第二次世界大戦において、アイルランドが英国への協力を拒否するという、大いなる禍根を残すまでになる。

しかも、これまた悪名高い「カトリック処罰法」により、カトリック信者であった地主の土地は没収され、プロテスタントの入植者に分け与えられた。入植者と言っても、多くはイングランドやスコットランドに居を構えたままの、いわゆる不在地主で、カトリックの農民は小作人となり、ますます貧しくなっていったのである。

こうした構造にも変化が見えはじめたのは18世紀になってからのことだ。特に1775年にアメリカ独立戦争が始まると、その対応に追われた連合王国(1707年にイングランドとスコットランドが合邦して成立した、グレートブリテン連合王国。(以下便宜的に「ロンドンの政府」と呼ぶ)は、アイルランドに対して妥協的な態度に転じざるを得なくなった。
しかもこの時期、多くのプロテスタントが、不在地主の立場ではなく、アイルランドに移り住んで起業するようになり、自らを「アイルランドの支配階級」と考えるようになってきていたのである。

そして実際に、高額納税者となった彼らプロテスタントの商工業者は、アイルランド議会に大きな勢力を持ち、自治の拡大を要求しはじめた。

ところが1789年にフランス市民革命が勃発する。革命の波及を恐れたロンドンの政府は、アイルランドのカトリックに対して、一段と妥協的な態度をとらざるを得なくなったが、これを「支配階級」であったはずのプロテスタントから見ると、もともと人数的には多数派のカトリックの間で、「フランス革命政府と連携して、より急進的な改革を勝ち取ろう」
との機運が高まる中、政治的にまったく孤立した立場に追いやられてしまったのである。

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最終更新:6/21(金) 18:05
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