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元オリオンズ応援団員が語る東京スタジアムの夢、川崎球場への追憶

6/22(土) 11:13配信

週刊ベースボールONLINE

現在、オリオンズ、マリーンズの歴史をまとめた『1950-2019ロッテ70年史』が発売中だ。東京スタジアムから、流浪の時代を経て、川崎球場へ。そして今に至る千葉・幕張への移転――。そのすべてを見てきた「元応援団員の証言」を掲載しているが、同企画をここに公開する。

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下町に現れた夢舞台

 1962年の東京・南千住。まだ戦争の焼け跡も残る下町に、忽然と巨大な野球専用スタジアムが現れた。オリオンズの名物オーナー、大映映画社長の永田雅一が30億円もの巨費と、それ以上の情熱を注いで建設した“夢の球場”東京スタジアム。6月2日、パ・リーグ全6球団が集結した開場式で、永田オーナーは詰めかけたファンに向かって「みなさん、パ・リーグを愛してやってください」と絶叫した。

 現在は日本プロ野球OBクラブに籍を置く横山健一氏は、東京スタジアム開場の翌年、63年の生まれだ。小学2年のときにオリオンズは“夢の球場”から立ち去っている。それでも、野球に、そしてオリオンズの魅力に取りつかれたのは、東京スタジアムがあったから。その記憶は今も鮮やかに脳裏に焼きついている。

「とにかく格好良かったですね。内観も外観も。東京スタジアムは“光の球場”と呼ばれていましたが、周囲の下町の風情とのギャップもあって、そこから照明の光がもれてくると本当に美しかった。今で言うバリアフリーのスロープ塔が4本立っていて、なだらかな1階席とせり出した見やすい2階席。まあ、お客さんが多いわけではなかったので2階席が開放されたのは70年の日本シリーズくらいだったかもしれないですけど。ゴンドラシートが外野の端まであって、イスはプラスチック製で、キャンドルスティック(ろうそく塔)と呼ばれた照明塔があって、フィールドは天然芝。50年以上前のスタジアムですから、もちろん電光掲示板があったりするわけではないですが、今の球場と比べても何ら遜色はない。グラウンドはちょっと狭かったですけど。

 スタンドも独特の雰囲気でね。友達と後楽園へ巨人戦を見に行ったこともありましたが、背広を着た仕事帰りの大人ばかり。でも東京球場は違う。下町のおじさんや子どもたちもたくさん見に来ていて、アットホームで身近な球場。今思うとそんな地域性が感じられた“下町の野球場”でしたね。あのアルトマンが電車で通っていたんですから」

 何もかもが最先端で近代的なスタジアムは、選手たちにも優しかった。当時としては珍しい室内ブルペン、ロッカーは一、三塁側に2つずつあり、選手食堂は「銀座の一流店のよう」と称された。“ミスターロッテ”有藤通世は「4年間しかいなかったけど、“我が家”と呼べるのは東京球場だけ」と振り返り、横山氏は「うちの理事長(八木沢荘壮六日本プロ野球OBクラブ理事長、完全試合を達成した元ロッテ投手)も『あそこではもっと長くやりたかった』って言うんです」と話す。

 開場から8年後の70年には、東京スタジアムで念願のリーグ優勝。グラウンドになだれ込んだファンに胴上げされた永田オーナーは、涙した。

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最終更新:6/22(土) 11:39
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