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ラモーンズのフロントマン、ジョーイ・ラモーンのフォトストーリー

6/22(土) 16:30配信

Rolling Stone Japan

ラモーンズのオリジナルメンバーであり、ボーカリストだったジョーイ・ラモーン。2001年4月15日、リンパ腺癌のために49歳で逝去。CBGBでのライヴやデボラ・ハリーとの交流など、秘蔵写真で回想する。

写真15点:ラモーンズのフロントマン、ジョーイ・ラモーンのフォトストーリー

20年に及ぶキャリアにもかかわらず、ラモーンズは最後まで小さなライブハウスで演奏し続け、移動手段はいつも小さなワゴン車だったという。フロントマンのジョーイ・ラモーンは解散ツアーの終盤に体調を崩し、その4年後にリンパ腺癌でこの世を去った。その翌年にはベーシストのディー・ディー・ラモーンがヘロインのオーバードーズで逝去し、その2年後にはジョニー・ラモーンが前立腺癌により命を落としている。また結成時のドラマー、トミー・ラモーンは2014年に胆管癌で亡くなった。バンドの結成メンバー全員がこの世を去ってしまった後も、彼らと15年間活動を共にしたドラマーのマーキー・ラモーンは、現在も世界中でラモーンズの曲を演奏し続けている。

そんなパンクの伝説とも言えるバンドのフロントマンを務めたジョーイ・ラモーン。改めて彼がラモーンズとして生きた証を数々の写真で振り返る。

CBGB
1970年末にニューヨークの伝説的ライヴハウス、CBGBでライヴをするラモーンズ。

ラウンドハウス
1976年7月4日、ロンドンのカムデンにあるライヴハウス、ラウンドハウスでラモーンズのメンバーとステージに立つジョーイ・ラモーン

ラモーンズ
1976年8月、米カリフォルニア州ロサンゼルスのサンタモニカ・シヴィック・オーディトリアムの外でポーズをとるディー・ディー・ラモーン、トミー・ラモーン、ジョーイ・ラモーン、ジョニー・ラモーン。

デボラ・ハリーとベッドで
1970年末、Punk Magazineの撮影中にポーズをとるジョーイ・ラモーンとデボラ・(デビー)・ハリー

サーフ・シティ
1970年末、サーフボードを抱えて米ニューヨーク州コニーアイランドのビーチを歩くジョーイ・ラモーン。

CBGB’s

1977年、ラウンドハウス
1977年にロンドンのラウンドハウスでライヴをするラモーンズ。

ラモーンズ
1978年1月31日、米カリフォルニア州サンフランシスコのオールド・ウォルドルフ・クラブのバックステージで撮影されたラモーンズ。

歴史
男性用トイレでの写真撮影でポーズをとるジョーイ・ラモーン。

ロックは続く
1990年代にラモーンズのメンバーとともにステージに立つジョーイ・ラモーン。

終幕について語る
1997年、音楽フェス、ロラパルーザへの出演についてマンハッタンの自宅アパートメントでインタビューを受けるジョーイ・ラモーン。

ジョーイ・ラモーン・プレイス
ジョーイ・ラモーンの母、シャーロット・レッシャーが命名式で「ジョーイ・ラモーン・プレイス」と書かれた標識を掲げる。2003年11月30日、ニューヨーク・シティのバワリーとイースト2ndストリートの角にジョーイの功績を讃えて彼の名前が刻まれた。

Rolling Stone

最終更新:6/22(土) 16:30
Rolling Stone Japan

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