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「よど号ハイジャック事件」で愛人問題がバレた英雄機長の暗転半生

6/24(月) 6:00配信

デイリー新潮

 1970年(昭和45年)の日航機「よど号」ハイジャック事件は、犠牲者を出すことなく冷静に任務を果たした石田眞二機長を一躍ヒーローに祭り上げた。が、それゆえ発覚した愛人問題で機長の人生は揺れに揺れ、暗転したのである。

 いまから49年前、羽田発福岡行きの日航機「よど号」は赤軍派に乗っ取られた。当時47歳の石田機長は乗客や乗員を無事に降ろし、北朝鮮を経て帰国。まさに英雄となる。佐藤栄作首相から表彰を受け、園遊会にも招待された。

 そんななか、愛人との同棲が発覚する。本妻の元に戻ったものの、さらに別の愛人との傷害事件に巻き込まれた。“火宅の人”であることが大々的に報じられ、事件から2年後の72年、日本のフラッグ・キャリアを去ったのだった。

 ここから流転の人生がはじまる。退職後は家族とともに大阪府岸和田市へと移り、雇われパイロットになった。その後、妻子を岸和田に残し、札幌から岡山へと渡り歩いて小型機の操縦をしたりしていたが、会社が倒産。パイロットの道は絶たれたのである。

 そして、操縦桿を漬物石に持ちかえた。札幌から連れてきていた女性と、岡山で漬物店をはじめたのだ。朝の6時から夜11時まで、黙々と漬物を作る生活を8年。舌癌が見つかった。86年のことだった。

罪滅ぼしだから

 ここでいったん、機長の元同僚の話を。

「事件後、日本に帰ってきた石田さんは、“俺には家が二つあるんだよなあ”と洩らしていました。大変な騒動の渦中だったので、そんなことを言っている場合じゃないとたしなめたんですがね。当時の日航では、送りの車があって、車の行先をみんな書いていました」

 機長の送り先はなぜか、2カ所。

「これは社内ではわりと知られていました。一つは本宅の神奈川県の藤沢、もう一つは別宅の横浜でした。事件後、石田さんが注目されていたので、“バレたらまずいぞ”という声があった。次々と女性関係が発覚したので、身から出た錆だったのかな、とも思いますが」

 話を86年に戻す。癌が見つかると、漬物店の借金や生活費などの問題から、札幌の女性と別れる。岸和田の妻子の元へ帰った。癌の手術をして体調が戻ると、警備員の仕事に就いて十余年。糖尿病でインシュリンを打ちながらも、2001年、78歳まで働いた。

 機長は、“罪滅ぼしだから”と、家族との時間を大切にしていたが、05年、心不全で倒れて入院。そのときの検査で、肺に癌が見つかる。家族の意向で本人に告知はされなかった。

 自宅で療養していた06年8月。よど号事件から36年が経ち、石田機長のダッチロールは止まった。享年83。

「よど号」の副操縦士、江崎悌一さん(81)は振り返る。江崎さんは機長の隣で、おもにハイジャック犯たちとの折衝にあたった。

「事件後3年ほどは、石田機長と乗客の身代わりで人質になった山村新治郎さん(当時、運輸政務次官)などとで集まって食事会をしていました。以降は機長にお会いしておらず、報道で様子を知る状態です。長い月日が流れ、ご家族からいただいた連絡は機長が亡くなったとのお知らせでした」

 そして次のような思いは、いまなお変わらない。

「石田機長は国内線のなかで人気のあるキャプテンでした。おおらかな性格で、常に泰然としていた。私はいいコンビだったと思っています。だからこそ、無事に帰国できたのだ、と」

 乗客の命を救った手腕は、歴史に刻まれている。

「週刊新潮」2019年6月20日号 掲載

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最終更新:6/24(月) 10:32
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