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黄金世代・遠藤保仁が忘れられない 「いちばんキツかった」悔しい経験

6/25(火) 6:17配信

webスポルティーバ

世界2位の快挙から20年......今だから語る「黄金世代」の実態第10回:遠藤保仁(2)

決勝ではスペインに完敗し、準優勝に終わった

 準優勝を遂げた1999年FIFAワールドユース(現在のU-20W杯)・ナイジェリア大会から帰国し、遠藤保仁は京都パープルサンガ(現京都サンガF.C.)に戻った。

 チームは調子が悪く、低空飛行を続けており、ワールドユース組の遠藤、辻本茂輝、手島和希はチーム浮上の起爆剤として期待された。

 だが、遠藤が最初に感じたのは、自分たちを見る視線の変化だった。

「準優勝して帰国したけど、俺はそんなに騒がれてなかった(笑)。(小野)伸二とかモト(本山雅志)とか、活躍した選手が注目を集めていた。ただ、大会で結果を出したことで、周囲の俺を見る目がだいぶ変わった。Jリーグの他の選手は『こいつらすげぇな』っていう感じで見ていたし、サッカー関係者とかも『こいつら、こんなにやるんだ』っていうふうに見ていた。サッカー界にけっこうな衝撃を与えたんだなって、ある意味そういうので準優勝したことを実感できたね」

 ワールドユース準優勝という偉業に対する関心は、やがてファンの期待感に変わった。2002年日韓W杯が近づく中、彼らなら何かをやってくれるのではないか。そんな思いをワールドユース組に対して抱き、選手に対する注目度も増した。準優勝は、選手の周辺環境を劇的に変えていったのである。

 遠藤自身、ワールドユースで得たものは非常に大きかったという。

「ワールドユースで世界のトップとまではいかないけど、まあまあの選手が揃った中であれだけやれたのは自信になった。そのおかげで俺は京都に戻ってツジ(辻本)とテッシー(手島)と3人で試合に出られるようになったからね。当時は、ワールドユースから世界へという感じじゃなくて、ヒデ(中田英寿)さんがようやく海外に行った感じだったけど、今、俺たちがあのサッカーをやって準優勝したら、メンバーのほとんどが海外に行ったんじゃない? そのくらいの力を見せることができたと思う」

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最終更新:6/25(火) 6:17
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